昨日ゆり子のご両親が訪ねてきた。目標は、真由喜を見ることだったのはいうまでもないだろう。着く前にアメリカの家族とのビデオチャットしたが、チャットが終わる前に着いたので、アメリカの家族と挨拶ができた。やはりビデオチャットはいいね、特に家族が世界中に広がる場合。
さて、ゆり子のご両親が赤飯と豆を持ってきてくれたので、一緒にお昼を食べた。祖父祖母が真由喜と遊ぼうとしたが、真由喜がちょっと人見知りになって、私とゆり子を求めて泣いた。もう少し待つことになった。
昨日は、白幡八幡大神の夏祭りだったので、家族で行くことにした。私が神事の部分を見学するためにちょっと早めに行ったが、ゆり子、真由喜とゆり子のご両親がちょっと後で着いた。また気づいたのは、神事の最後に神職が「白幡八幡の夏祭りが無事に終わりました」と言ったことだ。正式に言うと、祭りは神事だよね。人が集まる部分は、本格的な祭りではないとも言える。確かに現代の言葉遣いでその楽しくて賑わい部分は祭りだが、元のことを考えたら勉強になると思う。少なくとも時代と一緒の変化が浮き彫りになる。
そして、いわゆる禰宜舞が始まった。今回は四回目だったので、もうブログで何回も描写したような気がするが、今回印象になったことを書くと思う。まずは、真由喜は意外にいい子だったことは目立った。泣かずにとは言え、殆ど静かにして舞いを夢中に見てくれた。真由喜が楽しんだと思えるし、周りの人に迷惑にならなかったので、よかった。そして、五番目の舞にはめでたい矢を視聴者に射ることがあるが、また取れなかった。今回近かったが、残念ながら隣の人に取られた。では、次回かな。餅投げも大変楽しかったが、前回より多かったような気がした。真由喜は、餅投げを不思議に見たので、まだちょっと若いようだ。ほかの小さい子供が喜んで取ろうとしたので、二年後真由喜がそうするかもしれない。
ところで、今年も取材された。今年読売新聞からの記者が参加して、周りの人をちょっと取材したが、そういう地元の祭りに行ったら、外国人と出会うのは驚かせるだろう。だから、去年も記録しようとする人に取材されたし、今回も。「外国人としてみたら、どういう感想ですか」と聞かれたら、非常に難しい質問だと思った。結局、「日本独特なことで、不思議で神秘的で面白くて」という曖昧なことになった。急に聞かれたら答えにくい質問だね。
では、祭りが終わったら、一旦家に帰ってから森林公園に行った。夕方の天気はちょうど良かった。気温もちょっと下がったし、いい風もあったので、気持ちは本当によかった。ゆり子のご両親は、まだ森林公園に行ったことはなかったので、紹介したかったが、行く度に「もっとここに来たらいいな」と思う。特に真由喜が歩き始めたらよく行ったほうがいいだろう。走り回らせたりするのは様々な側面からいいと思う。
公園のあとで、ゆり子のご両親がうなぎをおごってくれた。大変美味しかったし、ほかのお客さんには真由喜が「かわいい、かわいい」と言われたので、楽しかった。真由喜はまだ大変いい子したし、祖父祖母に対する抵抗感がなくなったので、交代しながら食べられた。
そういう素朴な一日だったが、本当に楽しかった。