歴史と責任

最近日本とドイツの第二次世界大戦についての反省を検討する本を読んだ。反省する方法は別々だそうだが、責任や謝罪の話が出てきた。だが、読みながらちょっと違和感があった。

戦争中、ドイツをはじめ、日本も残酷な行為を犯したのは否めない。だが、イギリスやアメリカもそうした。空襲もそうだが、イギリスの植民地の歴史を考えたら、アメリカの先住民の歴史を考えたら、長い間残酷な行為が続けてきた。だが、読んだ本は、英語で書かれて、イギリスやアメリカで出版された。だから、日本やドイツの犯罪について考えることに誘って、自分の国を比較的によく考えるように促すと言えるだろう。確かに、ユダヤ人を絶滅しようとしたドイツは、イギリスの植民地の歴史よりひどいが、日本の残酷は、イギリスの歴史にある行為に類似できるので、ちょっと不公平な書き方だと思う。

要するに、他の人の責任について書こうとしたら、自分の責任を先にちゃんと考えたほうがいい。

さらに、この責任自体について疑問を抱える。イギリス人だからといって、過去のイギリス人が犯した行為の責任を持つと言えるだろうか。血液型で責任を配らないので、なぜ国籍によって配るかと思う。その上、国籍ではない。私が日本の国籍をとっても、日本の第二次世界大戦の戦犯の責任よりイギリスの戦犯の責任について問われるだろう。つまり国籍ではなく、血縁だ。だが、血縁には犯罪が流れるとは私が思えない。そういったら、行為の後で生まれた人は、責任を本当に持てるだろう。

過去より、将来を考えたほうがいい。また犯罪を犯さないように気をつけるのは人間の責務だ。簡単に避けられることではないので、歴史から学ぶのは必要だが、自分の国の歴史だけではなく、他の国の歴史からも習えると思う。イギリスならドイツの歴史からとか、日本ならロシアの歴史からとか、アメリカなら日本の歴史からなど。

長い間検討しても、単純すぎる結論がでることは多いと私が思う。日本の歴史は、日本としか関わっていないと思うのは、そういう勘違いだと思う。特別な責任を持つことは、した人とさせた人と許した人に限られたのではないだろうか。それ以外、同国籍でも、関係は責任より学べることだと思う。


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