日本の五周年

2003年10月1日に私が日本に到着した。あの時五年後日本に住む、さらに日本人の妻と娘と一緒に住むとは思いも想像もしなかった。一年で帰国するはずだった。やはり人生が意外に変わるよね。まだ日本に住むことが好きだから、すぐに帰国するつもりはない。むしろ、ゆり子のほうがイギリスに住みたいようだ。だから、帰国する可能性はまだあるが、危機がなければ少なくとも数年後の話だ。

日本に住む次第、日本人も日本の文化もますます好きになってきた。そして、どんどん現実的な国に私の頭の中でなってきた。どういう話だろう。西欧から見たら、いや、西洋から見たらと言おう、日本は不思議な外国で、別な惑星のイメージがある。見る日本の側面は対照的で印象を与える側面ばかりだからだろう。例えば、相撲の力士は、イメージ的には欧米のスポーツ選手と極端的だし、芸者も欧米には全くない存在だ。お寺も神社も別世界からの訪問者のようだし、歌舞伎などは不思議でたまらない。アニメも欧米のアニメーションと違うし、アイドルの文化は欧米にはないと言える。だから、欧米から見たら、ただ不思議な世界に見えるだろう。「Lost in Translation」という映画は象徴的だろう。

だが、住んだら、日常生活を送ったら、日本の現実的な側面に接することは避けられないのでコンビニの便利さや電車の信頼度などが主な印象になる。あるところに芸者や歌舞伎役者がいるが、見たことはテレビ越しだけだ。一方、コンビニやダイヤ通りの電車は身近な存在だ。日常的な不便な点も浮き彫りになる。なぜATMは無料ではないかとか、なんで銀行のATMは24時間ではないか、役所で用事を済ますのは、なんでこんなにややこしいのか、などのことがジュニアーアイドルがいるから日本人はみんな変態だという批判より重大に見えてくる。(日本で本物のジュニアー相泥写真集を見たことがあるだろう。あっ、はい、表紙を見た。)

だから、現実的な側面が馴染む次第、日本は「すごい」、「大変」、「不思議」の反応から、ちゃんとした感情的な反応の対象になる。ATMは不便だが、Amazonの無料配達は翌日着だ、など。そして、日本にいれば、日本人と接して、日本人にはいい人は多いことが分かる。妻や妻の家族は勿論、英語の授業を受ける人も、白幡さんでの人も、道ですれ違う人も、いい人は多い。

ただ、ちょっとがっかりすることがある。日本にいるじかんが長くなればなるほど、私の日本語に驚く日本人が少なくなることだ。「二年だけ!」ではなく、「あぁ、もう五年か。なるほど」という反応になりそうだ。寂しいな。