外見対中身

北川景子さんが出演する映画の『ハンサム★スーツ』がもうすぐ公開するが、宣伝は凄い。北川さんのブログで北から南へのキャンペーンのことが書いてあるし、インタビューも携帯にさえ出て来たし、オンラインやつも多い。映画のテーマは、外見と中身なのだから、インタビューでも北川さんが外見より中身を唱える。映画で、主人公の外見は谷原さん、中身は塚地さんだが、仕事外で北川さんの実の仲間は、塚地さんだから、少なくとも北川さんは正直に言っていると思う。

こういう意見を言う人は多いし、北川さんのように信じる人も少なくないだろうが、私はちょっと違う。中身より外見というほどではないが、こういう風に外見を軽視するのは本当にいいのかなと思う。

インタビューで北川さんが言ったのは、外見はメイクさんなどに磨いてもらうので、本当に自分の魅力点ではないと言った。確かにそうだが、中身は違うだろうか。知的な能力と言えば、先生方によって磨いてもらうし、性格は親を始め、知り合いの皆に刻まれる。だから、中身だからといって完全に本人が作ったとは限らない。そして、外見も中身も、本人には素はないと、できることには厳しい制限がある。外見の場合、これは明らかだろう。如何にメイクをしてもらっても、わたしが谷原さんのようにハンサムになるわけはない。同じように、北川さんのように美しく見えるために、素も工夫も必要だろう。中身の場合も、否む人はいないだろう。頭が悪かったら、如何に勉強しても高級学者になれないはずだ。

それを認めてもらっても、「ただ、外見の素は、本人のお陰ではない。ただ遺伝子などの自然物の影響だ」と言われるだろう。確かにそれはそうだ。しかし、知的な能力も性格も同じだ。知的な能力は、脳の形に拠るし、それは遺伝子や幼い頃の環境によって造られる。性格も、脳のなかの化学物質のバランスによって左右されるそうだ。本人のお陰だと言えたら、外見も本人の創造物だと言える。

そして、外見を軽視、いや、軽蔑したら、外見が良くて頭も性格も悪い人はだめだという意味だろう。人間を否定したくないので、それを言いたくないのだ。外見は唯一の才能であれば、まだ才能を一つ持つと言える。外見を、才能の一つとして認めるべきだと私が思うのである。

といっても、外見が本人に気になる場合は多いだろう。なぜなら、初対面から外見が目立って、人間関係に強い影響を与えるからだ。外見が悪い人がすぐにうんざりになるだろう。一方、北川さんのように外見が優れる人も、いつも外見に惹かれてしまった人に囲まれたらうんざりになるだろう。両方は平等に、外見以外の側面を見てもらわないので、精神的な問題は基本的に同じだろう。(私は体験で分からない。私の外見は平凡的に、強い影響を人間関係に与えないようだからだ。)一面的に見られるのは、人間には嫌だと思う。スポーツ選手でも、スポーツの才能のみを見てもらったら、うんざりになるだろう。作家は或る程度運がいいと思うが、それは作品に自分の多面が入れられるからだ。だから、俳優が様々な役と挑戦して、多面を見せたくなるだろう。

といっても、自分の多面をちゃんと見てくれるのは、身近な人のみだろう。家族、親友など。ファンに全面的に見てもらうのは、無理だろう。北川さんのような人は、外見を軽視せずにファンの傾いた視線を我慢したほうがいいだろう。

なんて、偉そうに。私にはファンがいたらより良く共感できるだろう。