私の母校(ケンブリッジのトリニティーカレッジ)が毎年情報を送ってくれる。トリニティーは、1990年から日本に来る直前の2003年まで密接に関わっていたので、情報は懐かしい。だが、或る程度悔しい。なぜなら、もうトリニティーに住んでいないし、トリニティーの教授になる機会はもうないと言えるからだ。本当に楽しい時期だったし、やはり教授の仕事も大好きだった。
しかし、一方トリニティーに残っていたとしたら、日本に来なかった。要するにゆり子と結婚せず、真由喜が生まれなかった。真由喜の存在をもたらす決断を後悔することはできないので、気持ちが複雑になる。そして、これからトリニティーに戻れるように頑張ろうと思ったら、やはり日本に住むことも大好きだから、イギリスに戻っても悔しい側面がある。
つまりいい経験は多すぎて、贅沢な悩みがある。
人生というのは、限られた存在だから、やりたいことの全てはできない。だから、しないことを選択することは、することを選択することと同じ重大さを持っていると言えるのだろう。だが、しないことを決めたら、やりたいことを放棄する決意になるので、嫌だ。意志を絞って頑張るしかないだろう。