平成20年を顧みる

今年が今日終わるね。早く去ったような気がするが、一方出来事は沢山あった。まず、個人的に顧みたいと思う。

今年の一番のことは真由喜だ。これから真由喜が一番という状況が長く続くと思うが、今年は初の親の一年間の体験だったので、特別だった。(毎年も特別になると思う。それは親バカの本質だよね。)真由喜の成長は著しい。去年の年末に座ることさえできなかった真由喜は、今年大変な勢いで走り回る。出す音が豊富になって、言葉に近づいている。言葉があるとも言える。「バイバイ」、「はい」、「ダディ」、「いた(だきます)」、「ご(ちそうさまでした)」などぐらいだが、喋るような音は多いし、私たちが言うこともよく分かる。真由喜の大好きな「いないいないばぁ〜!」DVDに会話で触れたら、真由喜がすぐさまにDVDの引き出しに行って欲しがるし、私が「今下ろすね」と言ったら、いやがったり捕まったりする。真似することも多くなってきた。ゆり子の掃除の真似は良くするが、昨日の朝ご飯の時に私の真似した。

真由喜は、私たちの真似としてかもしれないが、食べ物や飲み物を食べさせることがある。私が食べるふりしてから、返す。(ゆり子が食べてしまうけれども。)昨日、真由喜にみかんの一部を上げたが、真由喜が口に触れて、返した。三回繰り返してから、私が気づいたのは私のやり方と全く同じだったことだった。真似するのは幼児の学び方なので、真似すればするほど私が嬉しくなるだろう。

遊び方も大変豊富にになってきた。去年あまり遊べなかったのにもう積み木を重ねようとしたり、本の頁をめくったり、物を容器に入れたりだしたりすることはできる。本と言えば、自分の絵本だけではなく、私とゆり子の本も本棚からとって、丁寧に頁をめくることは多い。まだ読めないのは言うまでもない(だろうね)ので、これもごっこ遊びだと言えるだろう。

そして、ビデオチャットを通して離れている家族と話すことに完全に慣れた。生まれた直後からの経験だから、真由喜にとってはごく普通のことだと思う。手を振ったり、笑ったりすることは多いし、向こうの人の顔も分かるようだ。「ダディの子供の頃にはビデオチャットはなかったの?へぇぇぇ。ダディの子供の頃は昔々のことだよな。」というようになるだろう。

真由喜の性格もいいと思う。よく言うのは「ハピーベビー」という表現だ。勿論泣くこともあるが、笑うことは圧倒的に多いし、叫べば原因は喜びなの場合は大半だ。この一歳の時期は優しくて素直な時期と言われているが、次の時期は英語で「terrible twos」というので(日本語で「酷い二歳」だが、決まり文句があるだろう)それを待つしかない。自我がもう湧いてくる証拠は少なくないので、避けられないと思う。

健康を考えれば、病気も少なかったので、丈夫な子に見える。私はちょっと病弱だったので、これはゆり子の影響だと思うが、長く続くように祈ってやまない。

最後に今年は真由喜のモデルデビューだったね。仕事をさせるつもりはないが、やはり楽しかった経験だったし、作品は思い出としてのこる。その江さんにまた撮影を依頼すると思うが、それはプライベート用のつもりだ。

では、真由喜の分が長くなったが、それは当たり前だろう。私とゆり子が両親生活を整えたと思う。新しい生活環境に慣れてきて、もう二人暮らし共働きの時はうそみたい。だが、来年の春からまた働く予定がゆり子にあるので、来年の生活も変わる。私が真由喜と遊ぶ時間をちゃんととったし、ゆり子がほぼ毎週着付け教室に通った。来年も続くので、それはゆり子の気分転換になっていると思う。家族でのプチ旅行もかなりできた。毎月の日帰り旅行の目標からちょっと外れたが、熱海、伊豆大島、ららぽーとなどの家族で楽しめたことはあった。

広い意味の家族を考えたら、今年は義理妹のヒリーの結婚式だった。参列できてよかったと思うし、イギリスに真由喜を連れて行く機会があったこともよかった。母が真由喜と一緒に時間を過ごしたのは大変いいことだと思う。母も同意だそうだから、安心する。ヒリーの結婚式の前に一月に義理甥が生まれてきたので、真由喜には同い年(学年と考えたら)の従弟がいる。残念ながら、カリフォーニアに住んでいる従弟だから、一緒に遊ぶ機会を作るのはちょっと難しい。だが、する。

だから、家族の側面から見ると今年は大変いい一年だったと言える。

仕事の側面から見ても、悪くなかった。英語のレッスンが続いたし、まだ楽しくできる。そして、止める生徒さんは少なかったし、止めた理由は就職とかイギリスへの留学などのやむを得ない理由だったので、心配しなくていい。まだ新しい生徒さんが欲しいので、宣伝を続けるつもりだ。

執筆の方で、目標に達していないが、10万語以上書き出したので、悪くはなかった。Ice Yearningというネット上の小説は大成功ではなかったが、来年また挑戦する。実は明日から挑戦するが、また英語だし、明日か明後日日本語のブログで紹介するつもりだ。Ars Magicaの編集が一応上手くいったのように見えるので、それも来年頑張って続けたいと思う。日本語で執筆できるようなるのはいつかなと思うが、ブログを続けたら練習になるし、いつかできるようになるはずだ。頑張るしかないね。

読書を見たら、目標に達するために今日僅か一時間英語の本を読むことしか残らないので、達すると思う。これもいいことだ。読書は、他の仕事の基盤だとよく言うが、本当にそうだから怠るわけにはいかない。

だから、個人的な立場から評価すれば、今年はいい一年だった。

世界的な立場から見れば、そうは言えない。紛争も戦争も多かったし、アフリカからグルジアまで、テロも続いたし、そして九月から米国発金融危機が起こった。(いつも「米国発を接頭語にするのは、日本独特な言い方のようだ。「今回は、私たちのせいではない」と主張したいからだろう。)日本の政治は相変わらず混乱に陥っているし、内閣支持率は極めて低い。環境問題に立ち向かう態度は世界中に乏しいが、少なくとも米国の政権交代でもう少し積極的になるだろう。その代わりに金融危機のためにヨーロッパでの対策が挫折してしまったようだ。世界の問題を見たら、真由喜の将来は本当に心配だが、世界規模で私は何もできないのは言うまでもない。住んでいる国の政治とさえ関われない。

このぐらい問題がある世界の中でいいことを見つけるのは重要だと思うので、北京五輪でイギリス人が沢山のメダルを獲得したことと、日本人も成功したことを忘れないようにしよう。そして、北川景子さんの作品は楽しかったし、本人もいい一年として評価しているようだから、ファンとして嬉しいことだ。来年の活躍も楽しめると思う。

そして、世界の期待を担っているのは、オバマ次期米大統領だろう。どうなるかまだ分からないが、期待があるのは否めない。

だから、来年を考えたら、世界的によりいい一年になるように、様々な問題と直面して克服するように、人類には平和が広がるように祈るしかない。個人的に考えたら、真由喜の身近な環境をなるべく良くして、強く育むことは第一。それに加えて、執筆の仕事とまた取り組んで、自分なりにできるだけいい作品を世に出すことを目指す。同時に、読書と勉強を続けて、遠い将来の基盤を固めたいと思う。私は、真由喜の将来の基盤になるからなのだ。

では、これを書くのに一時間強がかかったし、読むのにも沢山の時間がかかると思うので、ここまで読んでくださってありがとうございます。

良いお年をお迎えください。


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コメント

“平成20年を顧みる” への1件のコメント

  1. sherryのアバター

    今日は寒い風が吹いてる
    嵐のような一年でしたが、皆さんもなんとか頑張って過ごしてきた
    来年はよい年であるように、心をこめて祈ります
    本当に
    あけまして おめでとうございます
    です