最近友達の真由喜と同じ月例の子供と会って、お母さんに大変甘えて追っかけることがある。一方、真由喜にはそのような傾向は全くない。実は、友達と子供が帰るときにゆり子が別れ挨拶をしに行ったが、真由喜が文句を言いながら追っかけた。「真由喜にもそのような要素があるのか」と思ったが、真由喜が「バイバイ」で手を振ってから、直ぐにゆり子から離れてリビングに戻った。なるほど。ゆり子と一緒にいることではなく、バイバイすることに走った、と。ゆり子が着物の教室に行くときも、私と真由喜が玄関まで行って、一緒にバイバイする。真由喜が笑顔で手を振ったり「バイバイ」と言ったりして、ゆり子の姿が消えたらまたリビングに戻ろうとする。泣くことはいっさいない。預かるときも同じようだ。
原因には、やはり真由喜の生まれながらの性格もあるが、二人で育てたことも影響があったのだろう。つまり、数ヶ月のころからゆり子は暫くの間いなくなることに真由喜が慣れて来た。そして、ゆり子が必ず戻ってくる。一方、私がいなくなる場合もあった。だから、私が出かけても、ゆり子が出かけても、笑いながらバイバイできるようになっただろう。泣くときも、甘えたいときも、殆どの場合ゆり子でも私でもいいようだ。例外があるのはもちろんだが、例外も私が欲しいときもゆり子が欲しいときもある。
私とゆり子への影響はちょっと異なる。私に取っては、父親としての誇りになる。泣いている子供も慰められるとか。自慢だよね。ゆり子には、ちょっと「母親でも、どうでもいい場合があるか」という悔しいことがあるが、やはり生活がちょっと楽になる。安心して着物教室に通えるし、料理するときには真由喜が泣き出したら、私が抱いてもいいし。
いいと思うね。