会社の規模

今の不況で、ある会社について「倒産させられないほど大きい」と言われる会社は少なくない。保険会社のAIGはその一つだが、自動車メーカーのGMもそう言われたことがある。会社がそれほど大きくなるとよくないのではないだろうかと私が思う。

まず、如何に「倒産させられない」と言っても、大規模な会社を救えない場合もある。経営には深刻な問題があったら、倒産を避けても急激に縮小することがあるので、社会への打撃はまだ大きい。システムを構える場合の基本のルールは、一つの失敗で大災害にならないようにすることだ。小規模なことなら、問題はない。完全に失敗しても、影響は限られているからだ。一方、大規模な施設なら、気をつけるのは必要だ。一人に責任を与えないとか、監察するための施設を設けるなど。それでも、一つの会社であれば、同時に全面的に倒産する可能性がまだ残っている。だから、社会の安全のために会社の規模を制限する必要があると言えるのではないか。

一方、会社の規模は大きくないと、効率が高くならないし、利益も少ないと批判する人もいるだろう。確かにこれを一概に否定できない。しかし、効率や利益は唯一の目標ではないのである。他の社会に対しての利点とバランスしたほうがいいのではないか。

例えば、大きい会社で決断する権利を持つ人が客と接しないのは普通だ。接待の社員は、マニュアルの通りするしかないのだ。だが、マニュアルには臨機応変の力は全くないので、問題が発生する。その上、人間関係と全く無関係な世界になる。いや、人間関係を作るのは問題だ、汚職だといえる世界になる。大手スーパーでレジを操る人が友人に特別割り引きを与えれば、それは犯罪だ。(窃盗罪だと思うが、詳しくない。)少なくとも、解雇する理由だ。だが、事業主が友達に特別割引を与えても、基本的には問題にならない。そういう権利を持っているからだ。

上司と部下の関係も同じようだ。部下は多かったら、上司は、特に取締役は、普通の社員と共感できないし、人間関係もない。部下も、会社に対する態度はマニュアル通りになる可能性がある。両方が他方を使うようになる恐れは多い。そして、権利は上司の側にあるので、部下の立場のほうが危うい。

その上、大きい会社の影響で国の画一化が進んでしまう。どこに行っても同じ店が見える、同じ商品が買える。日本にはまだ地方味があるが、イギリスでほぼ消え去ってしまった。

最後に、大きな会社で上の人の収入が下の人の収入を大きく上回る場合は多い。平等自体を追う必要はないと思うが、格差が拡大したら、社会には問題を齎す傾向は強いのは知られている。

だから、全面的に見たら、小中企業が沢山ある経済や社会は、大手会社に拠る社会よりいいのではないだろうか。


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