教育勅語

日本で「教育勅語」という言葉を聞いたことはない人はいないだろうが、内容が分かる人は少ないような気がする。それは、戦前に生まれた人を除けばだ。終戦前に就学した人は、必ず覚えると思うが、それは強制的に聞かされ、暗記させられたからだ。最近超保守的な人に唱えられるようだが、今読んだ本は神職の資格を取るために参考文献として挙げられている。

内容は、教育勅語は勿論、英訳、漢訳なども、教育勅語の歴史的の経緯だ。発布されたときに広く評価されたことと終戦のときにも占領軍に一概に嫌われなかったことなどは主張されている。示唆されたのは、今復活しても問題はないということだ。しかし、私はこのような事実は現代に使ってもいいことを裏付ける証拠だと思えない。発布された当時、西欧でも女性は有権者ではなかった。アメリカでは、人種差別は法律的に擁護された。帝国主義を謳った国は世界を占めた。(英国を初め、いわゆる列強は全て帝国主義に従った。アメリカもそうだった。)その時広く評価されたことは、むしろ現代に相応しくない可能性は高いと言えるほどだ。

そして、教育勅語の内容をみたら、確かに否みたくないところは少なくない。殊に教育勅語の柱と言えるところ、いいことばかりだ。親孝行はいいことだし、兄弟を大切にすることもいい。夫婦和合を否定する夫はいないだろうし、真剣に勉強すべきだと言うことを否む人はいるだろうが、私はその一人ではない。しかし、天皇中心の形は現代の社会と合わないし、愛国心は重視されすぎると思える。その上、天皇の政権が開闢から永遠まで続くのは単純に事実ではない。だから、教育勅語の精神を汲んで現代的なことが作成できるとはいえ、教育勅語はそのまま現代に合わないとも言わざるを得ない。

だが、もう一つな疑問は、これは神道とはどのような関係があるのかという疑問だ。歴史の経緯で特定の宗教の色を避けるように使われたそうだが、確かにそう見える。儒教の影響は明らかだが、影響に留まると言える。仏教的な解釈があったことは無理ではない。だから、直接な神道との関わりはないようだ。その上、それはわざとだった。草案者も明治天皇もその意向で発布したそうだ。

だから、神道との関係は、歪んだ神道を使った政権が教育勅語も使ったことに留まると言えるのではないか。(実は、国家神道を「歪んだ神道」と呼ぶのは、ただ私が国家神道を評価しないこと以外なにも示さない。神道には正当系はないので、歪んだかどうかは客観的に言えない。)そうすれば、神職が勉強しなくてもいいともいえるだろう。

といっても、日本の近代の歴史の中に重要な役割を果たした勅語だから、ちょっと勉強してよかったと思う。


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コメント

“教育勅語” への2件のフィードバック

  1. くずばなのアバター
    くずばな

    http://www.zb.em-net.ne.jp/~pheasants/

    教育勅語や国家神道についてはいろいろな見解があるようです。ご参考までに。
    それにしてもチャート・デイビッドさんの日本語はお上手ですね。驚きました。

  2. チャート・デイビッドのアバター
    チャート・デイビッド

    くずばな様、コメントをありがとうございます。確かに国家神道についての意見は様々です。私の意見もその一つにすぎません。

    ところで、日本語はまだまだ足りないような気がしますが、ありがとうございます。