歴史の本を読んだら、過去の法律の悪質が分かる場合は少なくない。その状況について読んだら、違法行為をする人を尊敬することは多い。例えば、ナチスドイツでユダヤ人を難民になるために手伝った人は、法律に違反したが、批判するわけはない。ラトビアの日本大使館にいる官僚が日本通過ビザを乱れにユダヤ人に出したが、法律に違反したはずなのに、批判する人はいないだろう。そして、内乱の前のアメリカでの奴隷を解放させた人も法律に違反したが、悪い人だったとは言えない。
しかし、その考え方を現在に当て嵌めたら、問題がすぐに生じる。法律に違反してもいいだろうか。だれがそう決めるのだろう。儒教で違反しては行けないという学者は多いが、それはユダヤ人を救っては行けないということになってしまうので、認められない。法律だからといって従うべきだとは限らないことは否めない。
確かに罰を避けるために法律に従ったほうがいい。さらに法律の大半は悪くないだろう。特に別に違反する理由はなかったら、従う方が好ましいといえるのではないか。しかし、義務の源泉はここに見つけられない。暴力団の命令も、罰を避けるために従ったほうがいいが、暴力団の命令に従う義務は一切ないのだろう。ナチスドイツの政府は暴力団と等しくなったからこそ従う義務はなかったといえるかもしれない。だが、奴隷制があったときにも、アメリカの政府は暴力団と等しくはなかった。或る程度民主主義で、反奴隷制のひとも運動していた。だから、政府には権利があるからと言って、法律の全てに従うべきだとも限らない。むしろ、違反する義務がある場合もあるようだ。
だから難しい問題だと思う。