昨日執筆した後でイギリスの作家の労働組合の雑誌を読んだ。憂鬱させる読み物だった。作家の執筆からの平均年収は百数十万円だとか、殆どの本が1500部も売れないとか、作品が三週間以内大ヒットにならない場合、多くのお店が返品してしまうなど。やはり作家の生活は豪華なイメージがあっても、現実は違う。有名な作家には収入があるとしても、有名なのにそれほど売れない作家もいるらしい。俳優なども同じだろう。確かに北川景子さんのブログを読んだら、日々が豪華に見えないので、俳優も同じなのようだ。一番になったスターは豪華な生活を送るとしても、北川さんのようにキャリアに成功しているがまだ大スターになっていない俳優も普通のような生活を送る。
作家もそうなのようだ。私の場合、私の収入の大半が英語を教えることから入ってくる。時給に合わせたら、授業の方が効率的なのは否めない。今年のタマオというプロジェクトは、まだ儲かっていないと言える。読み続ける読者の数はまだ百人に至っていないので、それは驚くほどではない。労働組合の雑誌に掲載した記事でも「執筆の生活は趣味だと考えたほうがいい」と書いてある場合もある。殆どの業界の労働組合ならあり得ないことでしょう。むろん、「プロの品質を保ちながら頑張る必要がある」という記事のほうが多いが、「収入は永遠まで少ないことに覚悟しろ」という記事も多い。
だから諦めたほうがいいと言おうか。私は、そう簡単に諦めたくない。
第一の理由は、作品を作りたいことだ。「書かないと生きれない」という作家もいるが、私はそれほど圧迫感はない。と言っても、完全に執筆を止めることは考えられないだろう。仕事の側面を完全に削除しても、趣味として続けると思う。だから、儲かるようになったら大変嬉しいことだ。そして、頑張っているうちに、辛いこともあるのは当たり前だが、基本的に楽しい生活だ。
もう一つの理由は、この前に書いた運の影響だ。大成功になっていない理由は、能力などではなく、ただ運がまだよくなっていないことだと言える場合は多い。名作は何回も出版社に断れられた話は少なくないし、作家の四番目か五番目かの作品が急に人気になった場合もある。確かにいつまでも不人気のままに続く作家もいるが、運は運だ。
全く能力はなかったら、諦めたほうがいいと言える。しかし、自慢になってしまうが、賞を受けたり、いい評価をされたりすることがあるので、私には或る程度能力があると信じる。完全に知らない人に作品を誉めてもらえば、能力があると信じてもいいのではないか。その上、タマオの読者は少ないとはいえ、数十人だし、誉めてくれる人もいる。儲けることに足りない人数だが、作品のないようには魅力的な点はなかったら、それまでさえ昇らないだろう。
だから、頑張ったら成功になれると信じる。「なる」とは信じないが、可能性のために頑張ってもいいと思う。必ず成功すると言える分野は極めて少ないので、何の業界でも同じだと言えるだろう。特に大衆の引き寄せに拠る生業は、予想しにくいのである。
私の場合、現在の伝統的の出版社には問題は多いようだから、インターネット上で挑戦しても変わりはないだろうと思うようになった。儲かる人はインターネットで少ないのは事実だが、紙に印刷された本を出版する人の間には儲かる人はごく僅かだとも言われる。確かに金持ちになった作家は紙の本を出版した。しかし、私はまだそれを目指していない。生活を支えるレベルを目指すのは十分高い目標だと思う。
だから、タマオの実験をまだ続けるつもりだ。諦めずに執筆する。