連休の為に延期された2回目の講座は今日行われた。テーマは、大嘗祭だった。
大嘗祭というのは、ご存知の通り、天皇の即位のときの神事で、少なくとも千年以上前からあった儀式だ。平成2年には今上天皇の大嘗祭は執り行われたが、そのときに論争になった。天皇が神格を受ける儀式として禁じるべきだとの声もあったそうだ。その論争の中心にあったのは、講座を行う岡田先生だった。当時朝日新聞で「若手学者」と呼ばれたが、岡田先生がその呼称をちょっと惜しんだ。もう言われないようだ。まぁ、20年前のことだからね。
では、論争の内容は、大嘗祭の秘儀の内容をめぐったことだった。大嘗祭の宮のなかには、寝具が敷かれた。真ん中には寝床があって、布団には枕もあるし、反対方には沓は置かれたそうだ。(秘儀の場だから、実際に見たことはないのは当たり前だ。準備する人、天皇陛下、取り壊す人しか見ないだろう。)寝床の隣に座布団(と言うより座るための畳)があるが、そこで天皇が神様に食べ物を供えることは知られている。だが、寝床には機能はないようだ。だから、秘儀が寝床と関わる説がある。
一番影響力があったのは、折口信夫の真床覆衾という説だそうだ。真床覆衾というのは、天孫降臨の神話でニニギの命を包んだ布だそうだ。折口説は、大嘗祭の間に天皇が寝床の布団に入り籠って、神の魂が降りて天皇に宿るということだ。つまり、天皇の神格化の儀式だと言える。20年前、これはほぼ定説だったらしい。
だが、平成元年3月に宮内庁が様々な史料を初めて活字で出版した。岡田先生がそれを読んで、平安時代からの大嘗祭の記録に引かれたそうだ。当時の即位する天皇は、四歳の幼児だった。だから、藤原家の摂政が儀式の中にも見守ったそうだ。記録によると、天皇がずっと泣いたそうだし、儀式の殆どができなかったようだ。大嘗祭で同じ儀式を二回するが、その間天皇が乳母の腕で寝たり、祖父の白川上皇からお菓子を貰ったりしたそうだ。かなり可愛い想像を刺激する史料だが、中には食べ物を供える儀式しか触れられない。他の史料も同じだ。「御膳の供え方は秘儀で、書くべからず」などの表現はあるが、寝床のことについて何も書かれていないそうだ。その上、後鳥羽天皇が書いた記録で、天皇が歩く道は表されたが、寝床を避けたようだ。天皇が号泣したときにも、寝床に入れて慰めようともしなかったようだ。儀式の一部は寝床に入ることだったら、したはずなのではないか。
その上、神道の神事の中心は、圧倒的に多くの場合、神様に食べ物を供えることだ。大嘗祭は同じ形をとっても、びっくりする必要はないだろうという。
もう一つの秘儀の説もあるが、それは聖婚説という説だ。要するに、寝床で天皇が女性と性交するという天皇と神や国の絆を象徴して強める秘儀だったという説だ。この説を掲げたのは、岡田先生だ。ややこしいことに、別な岡田先生だ。講座を行うのは岡田荘司先生だが、聖婚説を掲げるのは岡田精司先生だ。岡田荘司先生がこの説もあり得ないと思うのは言うまでもないだろう。
少なくとも言えるのは、食べ物に関する神事以外の神事の存在についての証拠はないことだろう。秘儀だから、隠された神事がある可能性を完全に否定するのは難しいが、大嘗祭は数百年中断されてしまったので、口伝の秘儀があったとしても、もう失われた可能性は高い。大嘗祭は、訪れてくれる神様を迎えるための神事だったと言った方が現実味あるのだろう。寝床は、疲れた神様のためで、最初から天皇でさえ犯しては行けないところだったのではないかと岡田先生が言う。説得力がある説だと思う。