教育とお金

先日の読売ポッドキャストで政府が教育の費用について検討しているというニュースがあった。社説もあった。基本的な問題は、若者の5割が大學に進学するのに、世帯収入は400万円以下の場合は3割、1000万円以上の場合は3割ということだそうだ。教育が次の世代の格差を生み出すので、社会問題の続きを確保する状況だと言える。

問題の解決に幼稚園を無料にするなどの提案があるらしい。確かに幼稚園と保育園が無料になったら、家の家計には余裕が現れる。そのような方針に反対できないが、問題を広く見たら、ちょっと疑問を抱く。

お金と言うのは、何でもと交換できる存在だ。(お金で買えないこともあるが、思うより少ないだろう。例えば、上手く使えば、幸せが買えるそうだ。秘密は、物を買うことではなく、経験を買ったり、他の人のプロジェクトを応援したりすることと言われる。ちょっと余談だが。)お金がある世帯には、より多くの欲しいものがあるのは避けられないことだ。教育は広く欲しいことだから、お金が入手したら、教育を得る人は少なくない。だから格差を完全に埋めることは不可だと思う。

お金以外のことにも影響がある。ゆり子が調査の結果を伝えたが、調査によると読書家の子供の成績がよくなる一方、ワイドショーを見る人の子供の成績が悪いそうだ。これも繰り返す現象だ。大学で成功する人が将来に本を読むのは当然だが、文学と親しまない人が将来にも読まないことも当然だろう。だから次世代にも同じ格差がある。

だから、完全な平等を目指したら、失敗に終わると思う。達成するために、自由を完全に崩す必要があるからだ。一方、確率に気をつけたらいいだろう。低所得者の子供がトップの大学に進学できるチャンスが僅かな数字ではないなら、いいだろう。要するに、まず世帯の貧富にも関わらず東大などに進学することは可能にするのは基本だ。それは日本ではもうできた基盤だと思う。次は、低所得者の子供には、東大に行くために著しい決意などは必要ないようにすること。確かに努力は必要だ。しかし、努力にも程度がある。普通に頑張ることと、視線を集めるほど頑張ることもある。目立つほど頑張らずに貧乏な家族からの人が東大に進学できるようにするのは目標だろう。

それに貢献するために幼稚園や保育園を無料にする方針が役に立つように見える。早くから子供に経験を付けて、勉強のような環境に馴染めるからだ。公立高校を無料にすることにも効果がある。高校に進学しないと、東大に進学できないが、学費を払えない世帯もあるに違いないからだ。基本の過程を無料にして、その上公立の過程の本質を十分に上げることでできるのだろう。完全に平等にできないとしても、東大卒の人の両親はフリーターということをびっくりする現象ではないようにできると私が思う。


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