今日また國學院大學のオープンカレッジの神道講座に行って来た。今日のテーマは聖婚説だった。それは、神道に神事の中に元々性的な行為があったと述べる説だ。結論から始まったら、岡田先生によるとそうではないそうだ。
聖婚が明らかにあるのは、神話の中だ。大神神社の神話にも賀茂神社の神話にもそういう話が出てくる。問題は、神話の内容が祭祀の事実と直接に繋がるかどうかということだ。
まずは、大嘗祭の聖婚説を掲げた。これは、前回の講座に触れたように、岡田精司先生によって提出した説だ。大嘗祭の殿のなかに寝具があるし、釆女(うねめ)という女性が侍ったので、元々大嘗祭には服属する儀礼として聖婚があったのではないかという説だ。釆女は、地方の豪族から選ばれた女性で、天皇の親密な関係を持って、他の男性と関わってはいけなかったそうだ。だから、性的な関係があったのは疑えないことなのようだ。ただ、疑問は神事に取り込めたかどうかということだ。
岡田荘司先生によると、そういう証拠はないそうだ。文献などの史料にはそういうことは一切書かれていないそうだ。その上、岡田先生が自分の経験を語って、神事の場にベッドがあるからと言って、必ずしもベッドで何かをするとは限らないそうだ。神の座だと思ったら、聖なるところとして天皇でも侵しては行けないという。
次は、賀茂神社のみあれ祭りだ。山城国風土記の逸文には、聖婚神話があるが、義江先生と三宅先生によるとその神話がみあれ祭りに反映されているそうだ。賀茂神社には祝(はふり、神職の意味の古い言葉)と斎祝子(いみこ、女性を指す言葉)がいるが、祝がタマヨリヒコを象徴して、斎祝子がタマヨリヒメを象徴して、お互いに性的結合で雷神を産むという神事だと述べた。このみあれ祭りが葵祭の数日前に執り行われて、夜間の秘儀だ。
岡田先生がまた反対する。この説には飛躍があるという。まず、神話でタマヨリヒコとタマヨリヒメは兄弟だ。聖婚するのはタマヨリヒメと火雷神だ。だから、なんで聖婚になるかは不明だと述べた。そして、アレオトコとアレオトメという呼称があるが、義江先生によると、この呼称が男女神職を指すと言う。一方、岡田先生によると、朝廷からの祭使の呼称だそうだ。文献で走り馬と一緒に上げられるが、聖婚には馬が参加するわけはないだろう。(それは私が気づいたことだ。岡田先生が言わなかった。)つまり、賀茂神社の神職ではない。
その上、賀茂神社には1743年の年中行事の記録があるそうだ。まだ活字で出版されていないが、岡田先生には見たことがある。この中に斎祝子の役目が書かれている。みあれ祭りには参加しないそうだ。祭りのうちに籠るそうだ。
他の文献を引用して、性的な関係が神事に入るではなく、神事のときに避けるということが多いと主張した。この時住吉神社の秘儀を描写したが、神職が境内に籠るうちに差し入りを持つのはちょっと年上の女性だ。この人は性交と無関係だと言いたかったようだったが、言い方がなかなか見つけられなかった。50歳代か60歳代の女性だから、講座に参加する人のうちに該当する女性は少なくないので、選んだ表現がつい失礼になった場合は多かった。岡田先生によると、あまり話したくない話題だそうだ。いつも汗をかけるからだ。
そして、中世にも聖婚説があったそうだ。それは、伊勢の神宮で斎宮と神様の間だったと言われたそうだ。伊勢の祭神と性交の間に関係はないと当時の人が述べたし、その上天照大神は女神だから、女性の斎宮と聖婚することはどういうわけと疑問を掲げた。確かにそれは問題点だ。
このことを見たら、少なくとも聖婚説には根拠はないと言える。だが、岡田先生がそれ以上に述べた。祭祀に奉仕されたことがある人として、あり得ないと強調した。それは、祭祀で心を乱すわけにはいかないし、雰囲気は性的な行為とほど遠いからだと言った。だが、岡田先生が祭祀に奉仕したのは、二十世紀後半以降だ。1300年前の祭祀の雰囲気が一変違った可能性がまだ残っている。だから、聖婚の神事があった証拠はないと言えるので、あったと信じないが、現代の祭祀の雰囲気も証拠にならないと言いたいのだ。
では、また興味深い講座だった。次回は楽しみにする。