慈善ということは難しい。
一方、苦しむ人を救わないことは許すべきではない。目の前の溺れている子供を救うのは当たり前なのだから、遠くで飢餓で死にかける子供を救うことも当たり前なのではないかという。そして、先進国の日本やイギリスに住む人には、途上国の国民を助ける義務があるとも言える。資源を途上国から採るので、進展を援助しないと不公平だと言われる。
他方、私たちの優れている立場から自分が救えない人を助けるのは、帝国主義の一種だとも言われる。途上国の国民にもプライドがあるので、それを尊重すべきだという。
後者を掲げる人にはやるべき提案があるが、大部分は世界の経済制度や政治程度を抜本的に改善することだ。個人としてできることは全くない。だから、何もしないほうがいいのだろう。それは、言い訳なのではないか。そうかもしれない。しかし、本当に帝国主義の一種であれば、やるべきではない。慈善には批判できる側面はなくはないので、堂々と援助することはできなくなる。
本当に迷わせる状況だ。
コメント
“慈善” への2件のフィードバック
魚の釣り方を教えるか、ただ魚を与えるか・・
前者と後者では、結果が違ってきます。
前者では、自立する手助けとなりますが、現地人が努力する必要があり、現地人しだいです。
後者では、与える側なくして生きていけない従属関係を作りだします。 援助側が生死を握ります。
援助側にとっては後者のほうが楽でしょう。援助で自己満足に浸れます。
前者は、時間も掛かるし、現地人しだいでもありますので援助側も被援助側も楽ではありません。
支配並びに想うように現地人を動かしたいなら、後者が断然有利です。
その代わり、現地人を腐らせます。
いつもコメントをありがとうございます。
そうですね。ただ、その上魚の釣り方を教えたら、それは強制的に漁師にさせることになりがちなのではないでしょうか。国の将来を支配したかったら、国民の訓練を指導したらいいとも言えると思われます。
ですからこそ大変難しい問題です。
支援を自由に使わせたら、軍備や大統領の飛行機に使ってしまうことは実際に少なくないそうです。無駄遣いは日本の問題に限りません。何をしても問題になりそうですからこそ、難しい問題ですね。