翻訳の問題

私は英語での神道についてのメールリストに参加する。今日だれかが日本人の態度を批判したが、その批判は、英語の言葉のニュアンスに基づいた。日本語は「事件」、英語は「incident」だった。「incident」と言ったら、中立的な立場から論じるニュアンスがある。例えば、犯罪をincidentと呼ぶ場合は極めて少ない。incidentと言ったら、まだ犯罪かどうかは不明だというニュアンスだ。何か重大な出来事があったが、どう評価することは、まだ決めていない。和英辞書で「事件」を引いたら、「incident」が訳として出てくるが、使い方は違う。「収賄事件」を「bribe receiving incident」と翻訳すれば、まだ犯罪ではない可能性があると言う。日本語にはそういう意味はないのは言うまでもない。

「incident」は「事件」の訳としてよくないとはいえ、いい訳を見つけるのは大変難しい。「事件」の曖昧さを保つのは重要だが、必要以上な中立的な態度を示唆するのはダメだ。しかし、文章の長くすることもよくない。特に、日本語の文章のバランスを保たないと、英語での相対的な重大が日本語の場合と異なってしまう。それも意味を変えることになる。イタリア語で「翻訳は謀反役」とのことわざがある。本当にそうだ。

今日こそ進めよう

昨日の仕事がうまく行かなかった。レッスンの分には大きな問題はなかったが、執筆も読書もなかなかできなかった。結局執筆するための想像力はなかったようだ。そういう日もあるが、やはり悔しい。はっきりとそういう状態が分かったら、読書に転回できるが、はっきりにならない日もある。読書に転回したら、それは「もう執筆しない」との決断だから、「もう少し頑張ったら執筆はできるかな」と思いながら一日が去ってしまう場合はなくはない。昨日もそうだった。一方、一時間書けずに過ごしてから、急に欠けるようになる日もある。その上、長い間執筆を待てば、もうちゃんと読書する時間がなくなるので、少なくともちょっとだけの執筆にしようとする場合はある。成功する場合もあるので、方針を選ぶのは本当に難しいのだ。

今日はどうなるか分からないが、午前のレッスンの前に執筆と取り組んで、レッスンの間と後を読書に専用する予定だ。そうすると、少なくともちょっとの読書ができるはずだ。

自立性

ほぼ毎朝真由喜がシャワーを浴びる。まず私がシャワーに入って、自分を洗う。そして、私が呼び出しボタンを押したら、ゆり子が真由喜を連れて行って、真由喜も入って私と一緒にシャワー浴びる。制度としていいようだ。

今日はちょっと異なった。私のシャワーが終わったら、通常通り私が呼出しボタンを押した。間もなく、ドアの外から音が聞こえた。それも、通常通りだ。普段は、ゆり子が服を脱がして、真由喜にドアを叩かせる。(冬にドアを開けたら寒くなるので、なるべく短くする。)だが、今日の音はちょっと不思議だったので、ドアを開けて様子を見た。

真由喜が一人でドアの外で立った。人形を持って、私に渡してから服を脱ごうとした。

調べたら、ゆり子がまた寝てしまったようだ。真由喜が一人で起きて、リビングに行って、人形と遊んだらしい。そして、呼出しの音を聞いたら、浴室に行ってドアに叩いた。びっくりした。それほど素直にするとは思わなかったし、自立性がそこまで進んだのも気づいていなかった。保育園の影響なのかもしれない。

嫌々期に入ったらどれほどちび怪獣になるのだろう。

政党の責任

今朝昨日の読売ポッドキャストを聞いたが、ニュースで法案の立法率についての記事があった。それによると、ねじれ国会になってからの政府案の立法率が九割を超えるそうだ。

読売ポッドキャストの社説でよく民主党の無責任の対立を訴えるが、この統計は妥当であれば、そういう対立の証拠は全くない。その上、ねじれ国会の証拠さえない。むしろ、民主党がちゃんと野党の役割を果たしているかどうかが疑問になる。参議院で過半数を占める野党が与党の法案の1割さえ止められなかったら、無責任ほど対立していないという印象になりかねないだろう。

確かに通らせるべき法案は少なくない。政治も裁判のように、大半の件には議論はないのですぐ可決になる。しかし、政党の方針が本当に異なったら、これより論争になって、すぐに立法に至らなくなるのは想像できるのではないか。

なんといっても、読売の社説の無責任論の根拠はないと思うようになった。民主党には問題があるかもしれないが、勝手に政府案に反対することは問題の一つではない。