神道を知る講座V〜第5回

また國學院大學に通って、神道のオープンかレジの講座に出席した。今日のテーマは天皇祭祀の本質で、岡田先生が今までの講座を総括したと言った。不文の法、すなわちタブーなど、は重要な概念になったが、天皇の祭祀との関わり方を中心に論じて来た。

最初に指摘したのは、明治時代に設立された祭祀制度は、平安時代以降の制度に基づいたことだった。明治維新の推進者が古代の制度を唱えたが、平安初期以前の祭祀についての現存する史料は極めて少ないそうだ。古事記には概念や観念が含まれているが祭祀の作法などは具体的に描写されていない。そういう記録は、平安時代、特に平安中期、から始まるそうだ。だから現代の神職の装束は、平安時代中期や後期の貴族の装束に則るという。そして、明治初期の官幣社(国家から崇敬を受けた神社)のリストを見たら、一の宮と二十二社の神社は多い。一の宮制度も二十二社制度も平安時代中期以降の設立だったそうだ。より深い意味で、一般の人が自分の好きな神社にお参りして祈願することができるようになったことも、平安中期だったそうだ。その前に閉鎖的な社会だったという。だから、一つの言いたがったことは、神道を勉強するなら、平安時代や中世を飛ばすのはよくないという主張だった。

では、天皇祭祀の展開を探ってみれば、どうなるのだろう。前回紹介した氏族祭祀権のことを掲げた。11世紀、即ち平安中期、の前に閉鎖的な祭祀で、天皇さえ氏族の祭祀に介入できなかったと推測できるそうだ。この立場から考えれば、伊勢の神宮のいわゆる私幣禁断がわかると言った。私幣禁断というのは、天皇以外の人は、皇太子さえも、神宮で幣帛を奉ることはできなかった制度だった。これは皇祖神の天照大神の特徴ではなく、氏族の祖先神の祭祀にはその氏族以外の人が介入するわけにはいかなかった状況を表すのではないかと言った。

律令国家が発足したら、この制度が変わり始めたというが、式内社の全てに幣帛する二月の祈年祭には天皇が直接に関わらないことは、この祭祀権を侵犯することを忌んだからなのかもしれないと指摘した。6月と12月の月次祭や11月の新嘗祭には、幣帛を貰った神社は304座に限られたが(それは、式内社の十分の一に至るが)天皇が直接関わったそうだ。そして、その三つの祭祀は、伊勢の神宮の祭祀とも関係があった。要するに、天皇が関わったのは、神宮の祭祀だったと言えるほどだ。皇族の氏神の祭祀だった。

(官幣社と国幣社との別れも説明したが、私の纏まりのなかでちょっと余談だから、省略する。主旨は、地方の神職が京まで毎年行かなくてもいいようになるために区別され、時代が下がると京都周辺の神社に祭祀が集中して来たということだ。)

では、次の変化は、奈良時代から始まる。八世紀の称徳天皇の御代から、天皇が藤原氏の春日祭りに幣帛を奉ったそうだ。どうしてかというと、称徳天皇の母親は光明皇后で、藤原出身だったからだそうだ。要するに、男系ではなかったが、天皇は藤原の氏族と繋がったので幣帛を奉ったと言えるのではないかと岡田先生が言った。時代が下がる次第、天皇の外戚の神社の祭りに天皇が関わるようになった。

そして、平安時代から天皇が平安京(現の京都)の鎮護の神社の祭祀と関わり始めて、範囲がどんどん広まったと言える。11世紀までに上にも紹介した自由化が進み、天皇も様々な神社の祭祀と関わった。

と言っても、不思議な現象があった。岡田先生によると、これは神道史の七不思議の内一番不思議だと言った。(七不思議は慣用句だよね。初耳だったが、そういう雰囲気もあったし、パソコンの変換は一括になった。だから、その他の六不思議を聞いても、答えてもらわないと思う。)この現象は、天皇はお参りしなかったことだった。十世紀の朱雀天皇まで、一切天皇御自らが参拝する記録はないそうだ。平将門と藤原純友の変が制定されたときに天皇の感謝のあまりで直接に参拝したかったようだそうだ。だから、賀茂神社に参拝したそうだ。

だが、天皇が参拝したと言っても、境内に入ったとは言えても、ぎりぎりだった。本殿に近づかなかったそうだ。次の400年に歴代天皇がお参りしたが、形式はいつも同じだった。天皇が社殿からちょっと遠いところで待って、使いを送ったことだった。(その後、戦争や徳川幕府の命令で天皇が内裏を出られなかった。)

この理由は詳らかではないそうだ。岡田先生が、おそらく祟りの恐れと氏族の祭祀権の尊重から発生したのかもしれないと言ったが、30年間この時代の研究を続けてきた岡田先生も分からないそうだ。

しかし、孝明天皇の時代に参拝が再開されたら、天皇が本殿の直前まで進むことになった。これは未曾有な出来事だったが、すぐに恒例になった。

最後に纏まりとして岡田先生が主張したことは、神道には時代に合わせて変化したことは多いということだった。現代の神道は、古代の神道より平安時代の神道に基づいているし、今も変わりつつあると言った。その上、これはいいことで、神道の発展を可能にして、神道の存続も保証することだと述べた。

私は、この態度に賛成する。変化しないと、神道も死ぬはずだ。だから、今からの変化も楽しみにする。


投稿日

カテゴリー:

投稿者:

タグ: