失敗の記録

昨日失敗に終わった新宗教についての論文を読んだ。内容はともかく、失敗に終わった新宗教の分析自体はけっこう珍しいのではないかと思った。新宗教だに、作家だに、俳優だに、失敗に終わる物語をあまり聞かない。だが、割合を考えたら、失敗に終わる場合の方が多いようだ。それにしても、聞く物語が思い浮かぶ物語になるので、成功すると思い込みがちになる人は殆どだろう。最近、というより19世紀以来、こういう物語が努力を主張するので、「努力さえすれば、成功に終わる」と思う人は多い。実は、ネットで「才能などは保証にならないが、努力や忍耐力が保証になる」との引用を見たことがある。

これは嘘だという必要があるのは、よく考えたらびっくりするほどだ。無駄になった努力があることは、だれでも体験から分かるはずだ。そして、例えばオリンピックを考えたら、ぎりぎりオリンピックへの切符を入手できない人は努力しなかったと思えるのか。ぎりぎりまで至るために、相当の努力や忍耐力は必要になるのは否めるまい。だが、話が失敗に終わった。

この幻想がある理由は分かりやすいだろう。単純に失敗に終わる人が目立たないので、公開する話にならない。普通の人のままに続くので、話す必要もない。まず数回失敗して、結局成功する人の話が話題になる。ハリー・ポッターのJ. K. Rowlingはその例だ。原稿は何回も出版社に断られたそうだが、出版したら史上大地のヒット作になった。何回も断られた原稿が結局出版されない話は聞くことはない。ただ、その前に成功があった人だったら、話になるだろう。

現実を見たら、「諦めずに夢を追ったら、必ず叶う」というのは大嘘だ。嘘ではないのは、「諦めずに夢を追わなければ、絶対叶わない」というのだ。(まぁ、それでも偶然に叶う可能性は丁度ゼロではない場合もあるが、それは本当に見逃してもいい確率だと思う。)

これは、ジレンマになる。オリンピックに出場するために普通の仕事やキャリアを犠牲した人を憧れる場合は少なくないが、仕事などを捨てたのに結局出場できなかった人はどうだろう。オリンピック選手と同様に尊敬するのだろうか。それともニートの一員として軽蔑するか。

この記事の弾みは、勿論昨日の読んだ論文だけではない。タマオが失敗に終わりそうで、その前のアイス・ヤーニングがもう失敗に終わったことも背景にある。私自身がこれからどうすべきかと言う問題が頭を悩ませる。


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