日本では、世界の立場から測ったら貧乏な人は一人もいないと言えるだろう。ホームレスでも、簡単に安全な飲料水が入手できるし、完備なトイレもあるし、飢え死にする恐れもないほどだ。だが、日本には貧乏な人がいると否めない。
その理由は、貧乏の基準は、世界共通ではないからだ。最近学者によく提唱された基準は、「社会にちゃんと参加できるための財産や収入を持たない人」ということだ。途上国なら、飲料水は数キロ離れた場所から取る必要があっても、社会にちゃんと参加できる場合は少なくない。それに、江戸時代の将軍家の生活さえ検討すれば、現代の日本であれば貧乏に見える側面も少なくないだろう。
そして、社会に参加できない人をゼロにするのは、無理ではないようだ。絶対平等をしない限り、財産などが少ない人がいるのは論理的に避けられない事実だが、その最低限はまだ社会への参加を可能にすれば、この意味で貧乏な人はいない。現在の日本のホームレスは、社会に本格的に参加できないのは言うまでもないので、日本にはまだ貧乏の問題が残っていると言える。貧乏の問題はない国は今の世界にはないとも言えるだろう。(バチカン市は例外だろう。)
だが、社会の一員になるために、経済的な条件しかないとすれば、そうでもない。或る程度の経済力は必要なのだが、周りの社会に認識されることも、適切な水準まで教育を受けることも(例えば、文字が読めない人は、現在社会から乖離される)、人間関係を築く機会を受けることも重要だ。多様多彩な問題だから、一つの側面しか重視しないなら、本格的に解決できない。