出雲大社

最近読んだ本は、出雲大社についての本だ。作者は、出雲国造(普段は「いずもくにのみやつこ」と読むが、出雲大社で「いずもこくそう」と読むそうだ。ちなみに「出雲大社」は「いずもたいしゃ」ではなく、「いずものおおやしろ」と読むらしい)本人だ。とはいって、1968年に亡くなった人だったので、現在の国造はもう作者の孫か曾孫になったのだろう。

さて、本の内容は、出雲の国と出雲大社の紹介だ。神話も、歴史も、祭祀もしょうかいされるので、興味深い。それに、最後の一章は、出雲大社教を紹介する。それは、宗教団体で、神社でちょっと珍しい形だ。1968年現在、教理を持って、それはあの世、即ち死んだ後の状態、に重点を置いたそうだ。神道には、普段教理もないし、あの世にあまり興味を示さないので、ちょっと異例な教団なのようだ。今現在の状況が分からないが。

それは、本の唯一の問題だ。40年前に書かれたので、現状について語れない。印象的なのは、大社の古代の大きさについての部分があるが、本が書かれた時は、発掘調査で大社の柱の跡が見つかる前だったので、大社はもともと本当に50メートルぐらいの高さがあったと述べるが、証拠はちょっと薄い。発掘調査の結果で、もう確実になった。

「大社」の呼び方は、物理的に大きかったことからきたそうだ。偉大な神社の意味は跡に付いたと言えるだろう。勿論、大きな神社を築くために、信仰心が深い人が多く必要になるので、最初から重大な神社だったはずだが、圧倒する大きさは呼び方の由来だったそうだ。そして、もともと出雲の国造が奉仕した神社は、出雲大社ではなく、出雲の熊野大社だったそうだ。(和歌山県にはより有名な熊野神社があるが、島根県にもある。本によると、「熊」と「神」はもともと同じ言葉だったので、共通点として驚くほどではないそうだ。)国衙は熊野大社の周辺にあったが、大化革命で政治力が造から官僚に移ったとほぼ同時に、造が祭祀に専念して、出雲大社に移ったのではないかと言われる。

歴史はややこしいし、朝廷との関係は深いが不明な点は多いことから、興味深い神社だ。作者は、家伝によると第八十二代の国造だったそうだが、史料に初めて現れるのは第二十四代だそうだ。それは奈良時代初頭のことで、家の歴史の1300年は確実だ。その伝統から様々な神事も伝わってきたそうだが、概要も紹介される。

神道の世界で、出雲大社は朝廷から一歩離れた重要な神社だから、神道を全面的に理解するために出雲大社は見逃せない存在だと思う。だから、この本もお勧めだ。


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