眠い

急に眠くなったきた。昨日の睡眠具合は悪くなかったので、積み重なってきた疲れの結果だと思う。幸い、今日のレッスンにはキャンセルは多かったので、結局二つしかない。二時間ができると思うので、仕事が問題にならないようだ。(幸いといっても、やはり仕事があったほうがいいね。ただ、今日ちょっと不幸の中の幸いだと言えるだろう。)明日雅楽なでに行く予定はないので、ゆっくりすると思う。今日も必要な仕事をするが、頑張り過ぎないように気をつけたほうがいいと判断する。だから、今日も明日もちょっとゆっくりする方針を取る。

長期的なこれほど疲れないような方針が見つかったらいいが、無理かなと思わざるを得ない。やることは沢山あるので、限られた時間で済ますには力や苦労が必要になるのだろう。基本的に頑張るしかないよね。ただ今日ちょっと控えておく。

新・日本神社100選

タイトルからこの本の内容が分かると思う。日本全国にある神社を100ヶ所を選んで、紹介する本だ。紹介の内容が歴史に重点を置くが、場所なども入っている。有名な神社が沢山入っているので、参拝したい神社を選ぶことに役に立つ本だと言える。

ただ、内容に対する疑問がある。疑問というより、信頼できない点は少なくない。「神武天皇の惣社制」がよく掲げられているが、総社制度は、中世以降のことだ。一の宮制もそうだから、八世紀に国が設けられたからの一の宮だとの記事は、当たり前のことだけを言う。記事にはよく「宮下文書」が史料として引用されるが、中世以降の偽書のように見える。特に、神武天皇総社制は、中世以降の偽作だというのは、明らかだ。この本でも、八世紀以降の建立の記録がある神社は神武天皇総社制に入っているので、やはり建立は記録より早かったとも書いてあるが、神武天皇の総社が中世の一の宮とほぼ重なることから、後世の偽作の本質が明らかになる。

そして、神社の解釈には、国家神道の味は濃い。作者は、明治生まれと昭和初期生まれだから、それは原因なのだろうか。なんと言っても、現在の神道学の成果と合わない内容は少なくない。そして、神社の選択する基準も、皇室と関わる神社を優先するようだ。それは必ずしも悪いだとは言えないが、例えば貴船神社は載っていないが明治時代に国家神道の一巻として建立された神社が多く載っている。

結局、この本が参考になったが、もう一冊を探すつもりだ。別な立場から選んだ本と合わせたら、よりいい紹介になるのだろう。

忙しくなる一日

今日レッスンも面談もあるし、昨日の神道講座のためできなかった仕事も積もっているので、ブログを書く余裕はあまりない。明日もう少し余裕がありそうなので、明日もう少し面白い記事にしたいと思う。今日はここで。

神道を知る講座V〜第9回

國學院大學のオープンカレッジの神道講座がもうすぐ終わるが、今日は第9回があった。今週、岡田先生が伊勢神道を紹介してくれた。

伊勢神道というのは、鎌倉時代に伊勢の神宮の外宮で成立された神道の種類だ。特に、外宮の神官を勤めた度会氏の成果は多かったそうだ。伊勢神道の基本と言われる『神道の五部書』の四冊は度会氏に著されたのは確実だそうだし、残りの一冊も度会氏に作成された可能性もあるという。この五分書は、江戸時代初期には初めて纏められたそうだが、それ以前にも伊勢神道の重んじられた書物だったという。

奥書によれば、奈良時代や奈良時代以前に書かれた書物だが、それは偽証だ。作成年代は詳らかではないが、鎌倉時代前期から後期まで著されたと言う説は今の定説なのようだ。

五部書の中の一番古いと思われるのは、『宝基本記』という書物だ。それは、鎌倉前期の作品で、3分の2は神宮の式年遷宮の説明に占められたそうだ。これは、内宮の神官に著された可能性は高い。なぜなら、外宮を優先することはないからだ。一方、両部神道の影響を受けて、内宮と外宮を平等に扱うそうだ。ところで、神宮の一番申請な部分の心御柱(しんのみはしら)についての詳しい説明があるが、神宮に所蔵された本を見るのは許されていないという。勿論、どこの図書館でも見えるけれども。この心御柱は、世界の中心にあるとも書かれているそうだ。

鎌倉中期に著された『倭姫命世記』という書物は、外宮を優先しようとするそうだ。そして、所謂『神宮三部書』がある。この三冊は、鎌倉後期に度会行忠という事物に作成されたという。その一つは、最近名古屋の真福寺の所蔵された原本を調べて、度会行忠の自筆である可能性が高いそうだ。軸には「行忠」という字は書かれ、物の時代も妥当だそうだから、これは本当に原本であるのではないかと思われるそうだ。これは、この五年ぐらいで分かったことだそうだ。その本の伝来を調べたら、作成された時期を定められるそうだ。即ち弘安10年(1287)の4月から7月だったという。

さて、伊勢神道の内容はなんだろう。岡田先生によると、重要なポイントは二つある。

一つは、国家の永遠性を支えることだ。神道の国家との表面的な関係は新しかったそうだ。神国という表現もこの時期に初めて使われたそうだ。

もう一つは、正直と謹慎を強調することだ。この時代に神社での祈祷などより、正直に生きるのは重要だという意見が神道の主流になりつつあったそうだ。

この二つの点は、その後の神道に強い影響と与えたと言える。

そして、伊勢神道で仏教の影響を排除したほうがいいという意見も入っていた。両部神道の影響は見えるが、やはり仏教と一画を引くことにしたようだ。

中世だけではなく、近世の神道にも近代の神道にも伊勢神道が強い影響を与えたそうだから、神道の歴史を勉強したら見逃すわけにはいかない存在だ。