今日は、國學院大學のオープンカレッジの神道講座だった。今回のテーマは両部神道だったが、岡田先生の好きなテーマではないようだった。演説の最初に「面白くないテーマだが」と言ったし、途中で余談は非常に多かった。単純に岡田先生が興味を持たないテーマだとも言えるだろうが、両部神道の曖昧さも関係あると思う。両部神道は何だ、いつ成立されたか、誰に提唱されたか、などの質問にははっきりした答えはないようだ。
だから、今日講義の形に全く従わずに演説の内容を伝えようとする。
両部神道は、密教の神道だ。即ち仏教の天台宗と真言宗と深く関わる神道だ。仏教の立場から論じられた神道で、神仏習合を象徴する神道とも呼ばれる。(吉田兼倶がそういう風に指摘したそうだし。)両部というのは、密教の金剛界と胎蔵界を指す。これは、大日如来と関わる思想だそうだが、伊勢の神宮の内宮と外宮と当たられた。胎蔵界は内宮で、金剛界は外宮だった。
両部神道で、中臣大祓は重視された。祝詞で出てくる神様は、伊勢の別宮や摂社、末社に当てられたそうだ。そして、中臣大祓を唱えたら、あらゆる利益が得られるとも言ったそうだ。
さて、いつ頃成立されたのか。戦前の研究によると、鎌倉時代後期の成立なのではないかと言われたそうだが、あの頃の研究は本当に浅かったそうだ。その理由は、明治維新と神仏分離の影響によって、神道と仏教が混淆する神道を検討する意欲はあまりなかったことだそうだ。岡田先生の意見は、平安時代末期から鎌倉時代初期に成立されたということだ。なぜなら、両部神道に重要な書物は、その時代に作られたようだからだと思う。(ちょっと詳しく分からなかった部分があったので、根拠は別だった可能性が残っている。)
そして、園城寺と神道灌頂との関係は深かったそうだ。この点は、講座でもちょっと省略されてしまったので、詳しくないが、やはり密教の灌頂を神道の関係にしたことだった。
岡田先生によると、両部神道の一派の御流神道は、高野山で今も継承されるそうだ。真言宗のお坊さんがまだ御流神道の方式で丹生神社の地主の神様を崇めるそうだ。
今日聞いたら、今も纏まった両部神道についての研究の成果はあまりないような気がした。仏教史でも神道史でもあるので、両方の学者に専ら検討されていないのだろう。将来に検討される結果を待つしかないような気がするが、やはり私もあまり興味を持たない。別な学者の任せる。