真由喜の自己管理

昨日の夜ゆり子が早めに寝てしまった。真由喜は寝そうだったが、私が寝室に入ったら、牛乳を求めた。一緒にキッチンに行って、牛乳を用意した。そして、今朝のパンの準備をし始めた。その間、真由喜がソファーに座って、牛乳を飲んだ。一分以内、真由喜が一人でベッドルームに戻ったが、私がパンの設定を終えてベッドルームに行ったら、真由喜はもうベッドで眠っていた。哺乳瓶はベッドの後ろの棚に立っていた。自分で眠いと思って、ベッドに行ったのは明らかだが、ちゃんと自分の物の整理をしたから、感動した。そしてかなりよく寝てくれた。

ところで、昨日真由喜がちょっと変な遊びをした。私の膝の上に座って、先ず私の手で自分の顔を隠したり、いないいないばぁしたりした。そして、私の手を両手で持って、私の掌で自分の顔を叩いた。(優しくしたのは言うまでもないね。遊びだったからね。)どういう遊びのかな。

自白の問題

今栃木県で19年前の足利事件で有罪とされた人が無罪に判決される見通しだ。発表から見たら、警察の捜査方法は誤ったように見えるし、容疑者の人権に侵したとも言えるだろう。日本の警察に対する、このような疑問が国際的に抱いている。最近イギリスのBBCで関連の記事もあった。事件は別だが、基本の問題は、即ち三週間拘束され孤独させた人が嘘の自白をしてしまうことは多いことは、同じだ。足利事件で、自白だけではなく、科学的な証拠にも誤りがあったそうだ。

実は、イギリスはこういう問題に敏感になったことに理由がある。二十年ぐらい前に全く同じことがあったからだ。バーミングハム市とギルフォード市でテロの事件があって、合計十人が有罪とされた。裁判で、「死刑があったら、死刑にする」と裁判官が言った。幸い、イギリスでは死刑はない。なぜ「幸い』と言うかと言うと、数年前に無罪だったことが明らかになった。警察が圧迫で自白にさせたり、科学的な証拠を捏造したりしたことが明らかになった。この事件が話題になって、警察の尋問の録画などが義務になった。日本で同じ結果が見えるといいと私が思う。

理由は三つある。先ず、人権は、誰でも守るべきだと思う。容疑者でも、明らかな犯罪者でも、人権を守るべきだ。犯罪者が確かに人権を侵すが、だから犯罪者になる。国家も犯罪者になるべきではない。

そして、無罪な人が逮捕されることはそんなに珍しくないことだ。容疑者は無罪な可能性を念頭において、慎重に進むべきだと思う。

最後に、こういう風に人権を無視して偽った自白に無罪の人を迫ったら、本当の犯罪者を解放する。「と等しい」ではなく、解放するそのものだ。圧迫が偽った自白を発生させることは、研究でよく分かったことだ。だから、そのような圧迫を禁じるのは、犯罪者を捕まえることを支援する方針だ。確かに警察官が犯罪者として示せる人を確保することがちょっと難しくなるが、法律の目的は警察官のプライドより住民の安全を守護することだから、これを問題にすることはできない。

社会の本質を理解するために、弱者の扱い方を見るべきだ。弱者には、容疑者と犯罪者が含まれた。孤独で国家の力に下敷きになった人は、その前に以下に強く見えても、もう弱者になってしまった。

「あれ」がばれた

真由喜の前で真由喜に分かってほしくないことを話したかったら、「あれ」ということもあった。殆どの親もそうだろう。だが、昨日の晩ご飯で明らかにばれてしまった。

ゆり子が「真由喜は、あれを食べるかな」と言った。言ったとたん、真由喜が笑顔になって、興奮しながら私もゆり子も見た。

「わかったかな」とゆり子が言ったので、私が真由喜に

「What’s あれ?」と尋ねた。

「プリン!」と真由喜が笑いながら言った。

当たり!

勿論、プリンを食べさせるしかなかったが、真由喜が分かったことは一番感動したことだった。賢いなと思ったが、普通の子の可能性はまだある。

なんといっても、やはりこれからより気をつけないといけない。真由喜にはもう私たちの秘密が分かっているだろう。

真由喜のシャワー

ほぼ毎朝真由喜のシャワーを浴びる。毎回、必ず顔を洗われると、真由喜が泣く。泣き顔を洗うのは定番だ。シャワーが嫌いだと思うほどだ。

しかし、積極的にシャワーに入る。自発的に浴室に行って、ドアをとんとんすることもある。シャワーの途中でも、石鹸を顔から流したら、すぐに泣き止んで、シャワーを出る準備する。そして、顔洗いに一切妨げない。泣くが、顔を上げて、私が洗えるようにしてくれる。だから、顔を洗って貰うのは気持ち悪いが、仕方がないと真由喜が思うだろう。要するに好きじゃないことをする必要がある。

そういえば、昨日は季節のインフルエンザの予防接種だった。真由喜が泣いたのは言うまでもないだろう。だが、すぐに泣き止んで、「真由喜泣いた。えんえん。」と言った。ちょっといやのことを我慢したほうがいいことが、もう分かったようだ。やはり、普通の人生には、せざるを得ない嫌なことは十分あるので、わざと作らなくてもいいと私が思う。