愛と死

昨日哲学の論文誌で生き方と死に方についての記事を読んだ。記事で、人を人として認めて愛すべきだという倫理を挙げたが、死について考えたら、複雑になった。

愛する人が死んだら、悲しみ苦しむのは当たり前だ。一方、死んだら、もう苦しまない。(地獄に落ちると信じない限り。)だから、お互いに愛する人と一緒に危機に遭ったら、自分を犠牲して相手を救えば、自分が苦しまないのに、相手が苦しむ。逆に、愛する人を犠牲したら、自分が大変苦しむが、愛する人は苦しまない。だから、苦しませないことは方針であれば、自分の命を最優先にすべきだと言える。そうしないと、相手に苦しみを強いることになってしまう。それとも、愛するのに、愛されないように工夫すべきと言えるようになる。愛されなければ、命を捨てて愛する人を救っても、相手が苦しまないからだ。一般に見ても、愛されたら、死んだら相手が苦しむ。相手は自分の子供であれば、自分が先に死ぬ可能性は高いので、子供が自分を愛しないように工夫すべきだと言えるだろうか。

この結果は、やはり不思議で違和感があるが、相手の苦しみを防ぐことは目的であれば、避けられないと思う。だから、愛する人の苦しみを防ぐことを目的にしない方がいいだろう。その代わりに、相手が喜ぶように努めたようが相応しいのではないだろうか。人を愛することは、喜びの本になるし、愛する人はいなかったら喜ぶことが少なくなるし、人生が長ければ長いほど喜ぶ機会が増える。苦しみもあるが、喜びに邪魔しない限り抑制したらいい。

だから、苦悩を避けるために生きるべきではないと私が思う。むしろ、苦しみがあることに悟って、それを認めながら喜びを求めたほうが人間に相応しいと思う。そうしたら、お互いに愛したり、助け合ったりするのは妥当になる。


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