林業

今月のフォーサイトに林業についての記事が載っている。旨は日本の林業を産業形態に転換する必要があることだ。戦後植えられた木々がもう50年になって、この樹齢で伐採して売ることができるからだ。だから、今の日本の林業で専門的な知識や技術が欠いていると言って、間伐などの管理方法は行っていないという。

都会を出たら、日本で林業の重みがすぐ分かる。山の殆どは森林に覆われているからだ。だが、花粉症の広まりを考えたら、そして杉の花粉が原因だという通説を思い出したら、やはり或る程度改善は必要ではないかと思える。そして、私が読んだ日本の野生動物についての本によると、山村の農業の動物によっての被害も、部分的に林業の失敗の結果だそうだ。なぜなら、杉だけを植えたら、動物の餌が森林の中でなくなるので、里に下って、田圃や畑を襲うからだ。森林は、土砂崩れ対策にも、清水の確保にも、温暖化対策にも効く存在だから、慎重に扱うべきだろう。

だが、やはり複雑な問題だ。産業や利益を促すために、動物の心地よい場所にしない方がいいだろう。温暖化対策にするなら、木々の重さは重ければ重いほどいいが、他の環境問題の立場から考えたら、森林を多様多彩にしたほうが効果的だそうだ。そして、放置しては行けないと言っても、原始林は長い間放置された森林そのものだろう。原始林は悪い存在でもないだろう。

林業の政策も、農業の政策も、重要な政策だと思うが、都市化が進む中で十分考えられるかどうかは曖昧だ。投票のために田舎に済んでいる人を甘く扱うことと田舎の全体を考えて将来のための政策を企てることは、必ずしも同じではない。農民は田舎の側面だから、農村の繁栄も田舎政策の目標の一つにするべきだが、改革後の栄えになる可能性もある。

だから、林業のみを考えても、人間が分かって、一番いい方針を選ぶことができるかどうかは複雑さのあまりで明らかではない。田舎の他の問題を加えたら、より複雑になって、より難しくなる。そして、田舎の問題と都市の問題は無関係ではないので、国を全体的に考える必要が生じる。そこで止まるわけはない。日本は、世界の中に存在するので、世界規模で考えないと例えばアメリカでの銀行破綻やイランでのテロの打撃を受けて、日本の状態が崩れてしまう。幸い、小惑星の問題以外、宇宙を考える必要はあまりない。

政治家の宿命は、非常に重いよね。

真由喜の成長

昨日の晩ご飯から真由喜の成長の具体的な例を取り上げる。

先ず、ゆり子がご飯をつごうとしたら、真由喜に「ダディご飯と教えて」と言ったが、真由喜が私のオフィスのドアを開けて、「ダディ、ごはん」と言ってくれた。そして、自発的にベビーチェアに乗って、一緒に座ってくれた。

ゆり子がもう真由喜のお皿をついだが、私たちのみそ汁はまだ途中だった。真由喜が皿を取ろうとしたが、私が「まだ待ってね、マミーはまだ準備中だ」と言ったら、皿をテーブルに戻して、待ってくれた。それは初めてかもしれない。

そして、皆が揃ったら、一緒に「いただきます」と言った。「だだましゅ」のように聞こえるが、何を言おうとしているのがよく分かる。

勿論、まだ幼児だから、大人のような振る舞いはできない。特に、お店で走り舞わないように約束しても、忘れてしまうそうだ。私との買い物で走り回らない場合もあったが、それは例外だったと言えよう。まだまだ若いが、成長が見えるね。