2009年を振り返って

北川景子さんのブログから話題を借りさせていただく。(これほどの表現は、著作権対象外だからね。)一年が終わったら、ちょっと反省するのは当然だよね。

今年と言えば、家は真由喜のことだろう。一年中いちいちここで投稿してしまったので、纏めにする。言い方はちょっと変だろうが、人間になった一年だった。自分の意志が分かってきて、周りの人にちゃんと伝えられるようになって、目の前のこと以外が覚えられるようになった。そして、私の扱いで説明などが友好になってきた。例えば、アメリカからの帰りの飛行機の中で、真由喜が前の席を蹴った。私は、「蹴っては行けないよ。席にひとが座っているので、蹴ったらその人の気持ちが悪くなるからだ。いい?」と言って、真由喜が「うん」と答えて、蹴ることを止めた。そして、「今食べれないが、後で食べよう」とか、「持ってくるので、マミーと待ってね」など言ったら、真由喜が納得してくれる。赤ちゃんの時期には全く無効だったのはいうまでもないだろう。

そして、真由喜には穏やかな性格があるし、フレンドリーな態度も目立つし、おしゃべりが本当に上手になってきたので、心配することは全くないのだ。(親バカだろう。)言われるようになったのは、幼い頃は素直なら、思春期は大変だということだ。真由喜が例外になるように努める。なぜなら、大変な思春期で一番苦しむのは、親ではないからだ。

真由喜が保育園に入園したことと同じように、ゆり子が仕事を再開したし、着物の勉強を無事に終えた。ゆり子はもう着物コンサルタントの資格を持っているので、これからどう活かすか考えている。

私の仕事のことを考えたら、英語講習と執筆がある。英語の授業が結局上手くいったと言えるだろう。年始には止めた生徒さんも休む生徒さんも多かったが、再開した方も、新しく始めた方も多かったので、現時点で状況は良好だ。アメリカにいたうちに問い合わせが何回も入ってきたので、新年により向上するのだろう。教えること自体はまだ好きだし、生徒さんは個性豊かな方が多いので、この方に教えることも面白くて興味深い。私の勉強にもよくなる。例えば、日本の歴史を研究する学者に英語の論文のアドバイスをしたら、自ずと日本の歴史の理解も深まる。去年のこの時点で授業は良好だったと思ったが、年明けと一緒にちょっとした危機があったので、今回同じことにならないように。

そして、作品と言えば、2009年はタマオ。もう完成だ。作品として悪くないと思うが、私には欠点が見えるようになった。だが、いつもそうだ。この経験から習って、次の作品に活かすしかない。作品の目標は大失敗ではなかったので、大丈夫だ。

一方、営業面から見たら、大敗だった。広告に出した出費が収入を大きく上回った。ネットの経費もあったし、作成の報酬も欲しかったので、完全にダメだった。だが、作家にはこういうことは多いそうだ。(ここの「作家」は、広い意味で使う。小説などだけではなく、歌も映画も漫画も絵画も。)諦めずに頑張るしかないので、来年も一生懸命する。

仕事以外、日本の文化と触れる貴重な機会にも恵まれた。雅楽、茶道、神道などのことを体験して、実感できた。日本の文化が大好きだとは改めて思ったので、まだまだ日本に住みたいのだ。今年申請した永住権は、来年貰えるように。

ただいま

今アメリカから帰ってきた。実は、クリスマスをお父さんの家で過ごした。お正月のために帰国したので、今日からまた日本で書いたブログになる。

帰ったら、真由喜が喜んで「わい!ちっちゃいテレビ!」と言った。確かにお父さんのテレビの方が大きいが、なんで喜んだのだろう。

長靴

真由喜が新しい長靴をもらった。大変お気に入りになったようだ。出かけたら、必ず長靴を履くし、家のなかでも履きたがる。確かに可愛いが、中で履かないでほしいよね。保育園が再開したら、真由喜がまだ長靴でいきたがるのかな。

ところで、最近真由喜が寝たくない場合にはっきりしたやりたいことがあるようになった。単純にベッドに入ることについて文句言うだけではなく、長靴を履こうとしたり、本を持って「読んでください」と言ったりする。そして、疲れたら、自発的に「寝る」と言って、ベッドに向かう。成長したなと思わざるを得ない。もちろん、寝ないといけない時も少なくないが、より人間的な行為の一つだと思う。

これをまた読んだら、やはり親バカがひどくなってしまったな。御免なさい。

日本の理解

日本についての英語のブログはかなりある。日本に住んでいる人は多いが、日本の解釈や紹介をするブログは「本当の日本」を伝えようとすることは少なくない。私が住んでいる日本と別なところのように見える日本を紹介する場合もある。

最近のお稲荷様についての本を読んで、このことについて改めて考えさせられた。日本は、複層的で複雑な社会であるので、一人が一人の人生で理解できるのは、大変限られた側面であるはずだ。だから、私が英語で日本について書いたら、適切な謙遜を忘れずに書くべきだことに気がついた。研究したら、理解がちょっと深めるが、まだ日本の広さと比べたら、かなり狭いのは決まっている。例えば、神道を研究したら、神道のすべてが分かるようになっても、仏教を始め、日本の社会の他の側面はまだ未知の分野のままで残るはずだ。その上、人間の自然な傾向は、自分が知っていることを一般に考えることだから、神道を研究したら、日本の社会のなかで神道の役割を大きく見なす恐れがある。J-POPの研究も、アニメの研究も、農業の研究も同じはずだ。

この現象は日本に限られていないのは言うまでもないので、世界が分かる人はいないだろう。だから、政治家が分からないことについて重大な決意をする必要がある。一般人の私であれば、分からないことに手を出さなくてもいいが、政治家にはその選択肢はない。やはり大変だ。