日本の理解

日本についての英語のブログはかなりある。日本に住んでいる人は多いが、日本の解釈や紹介をするブログは「本当の日本」を伝えようとすることは少なくない。私が住んでいる日本と別なところのように見える日本を紹介する場合もある。

最近のお稲荷様についての本を読んで、このことについて改めて考えさせられた。日本は、複層的で複雑な社会であるので、一人が一人の人生で理解できるのは、大変限られた側面であるはずだ。だから、私が英語で日本について書いたら、適切な謙遜を忘れずに書くべきだことに気がついた。研究したら、理解がちょっと深めるが、まだ日本の広さと比べたら、かなり狭いのは決まっている。例えば、神道を研究したら、神道のすべてが分かるようになっても、仏教を始め、日本の社会の他の側面はまだ未知の分野のままで残るはずだ。その上、人間の自然な傾向は、自分が知っていることを一般に考えることだから、神道を研究したら、日本の社会のなかで神道の役割を大きく見なす恐れがある。J-POPの研究も、アニメの研究も、農業の研究も同じはずだ。

この現象は日本に限られていないのは言うまでもないので、世界が分かる人はいないだろう。だから、政治家が分からないことについて重大な決意をする必要がある。一般人の私であれば、分からないことに手を出さなくてもいいが、政治家にはその選択肢はない。やはり大変だ。