TRPGのハイチ募金

ハイチ大震災の後でDrivethruRPGというTRPGの電池版を売るサイトが募金のキャンペーンを実施し始めた。最初は、ただ寄付したら会社が同じお金を寄付すつという約束だったが、先日から$20を寄付したら$1000以上のゲームを漏れなく貰うことになった。勿論、すべては電池版だし、選べない。だが、100以上の商品の中に$20に相当するものはないわけはない。私にとって、欲しかったゲームは少なくとも三つ入っているので、お得になった。

なお、サイトもゲームも英語のみだが、TRPGに興味を持ち、英語ができたらぜひ見てください。今のところ寄付金が$95,000を超えたので、$100,000に達したらいいと思う。

情報公開

先日イギリスの政府が政府が集める情報を公開した。基準は、個人情報ではない情報の全てを公開することだ。陸軍などの詳細もアップしないはずだが、気候情報や地図などが公開されるそうだ。事故の統計も、犯罪の統計も、教育の統計も簡単に入手できるし、営業や商売にも情報を使ってもいい。それに、国家レベルだけではなく、地方自治体の情報も公開する。

これは大変好ましいことだと思う。

先ずは、民主主義で、政府は国民に仕えるので、税金で集まった情報を公開することは義務に近いとも言える。そして、政府の行動を見られるので、国民が政府の無駄遣いなどに気づける。

だが、それは比較的にマイナーだと思う。なぜなら、先進国の政府には、無駄遣いはそんなに多くないからだ。個人情報はもちろん公開しないので、政治と金の問題に役に立たないし。むしろ、利益になる面は、沢山の人がデータの分析ができるようになることだ。分析したら分かることは多いが、分析する余裕はないか、それとも分析したらいいとさえ思わない場合は少なくない。一般の人もできたら、問題の発掘や解決がより速めに進むと思う。これは、資本主義の利点と同じだ。中央管理の経済ができない理由は、経済は複雑すぎるからだ。如何に優秀は人を集めても、一つの管理局で国の規模の経済を細かいところまで管理できるわけはない。だから、現場で比較的に小規模な会社などを経営する人に管理を委ねる方針だ。この情報政策は同じだ。特に興味を持つ人とか、近所に住んでいる人などが情報を使って、問題や解決方法を発見する可能性が発生する。

とてもいい政策だと思うので、日本政府が同じようなことをしたらいいと思う。もう存在する可能性はあるが、私が見つけていないので、もうあったら教えていただきたいと思う。

真由喜と英語

先日ゆり子は眠かったので、朝にすぐに起きなかった。真由喜が起きて、私と一緒にリビングに行った。私が朝ご飯の準備をしたが、ゆり子はまだ起きていなかった。だから、真由喜に「Can you go and wake Mummy up?」(お母さんを起こしに行ってね。)と言った。真由喜が「うん」と言いながら、玩具を置いて、ベッドルームに向かった。暫くの間静かだったが、そして真由喜の大きい声で「アップ!アップ!」と聞こえた。その後、真由喜とゆり子が現れた。真由喜が「アップしたよ!」と笑顔で言った。

これは感動的だった。先ず、真由喜が素直に言ったことに従った。珍しいので印象的だった。(まぁ、別に珍しくないだろうが、二歳児が必ず従うはずはないね。)そして、英語での指導が分かって、複数の必要な行動ができた。先ず、ベッドルームに行くこと、そしてゆり子を起こすこと、そして一緒にリビングに戻ること。真由喜の成長の証拠にもなるよね。

豊川稲荷東京別院

鳥居と幟
豊川稲荷の境内にある鳥居と参道

大山街道の出発点に近い豊川稲荷。実は、神道の範疇に入れたのに、正式にいうと曹洞宗のお寺だ。本尊はだきにしんてんという。もともとの豊川稲荷は、愛知県にあるお寺だが、この別院は明治時代に建立されたそうだ。

本堂
豊川稲荷東京別院の本堂。狛犬のように配置された狐が見える

お稲荷さんといえば、神道だと思う人は多いだろう。確かに、現代のお稲荷さんを祭る施設の大半は神道に属する神社だ。じつは、圧倒的に神道の方に傾くとも言える。だが、江戸時代に遡ったら、ご存知の通り所謂神仏習合が日本の宗教の基本な形だった。豊川稲荷はその名残だと言える。だきにてんは、仏教の神話でもともと夜叉だったが、仏教を擁立するようになった。(仏教の神話には詳しくないので、経緯を書かない。)絵画で白い狐に乗る図は多いが、それが稲荷との習合のきっかけか、結果かは不明だそうだ。江戸時代に、普通の稲荷社には仏教の色は濃かったようだから、この豊川稲荷のように見えただろう。

狐と線香
狐の後ろに神社では滅多に見えない線香の場

だが、明治維新で神仏分離があって、宗教施設は、神道か、仏教かとはっきり決める必要が生じた。稲荷の施設の殆どが神道にしたが、例外があった。これは、その例のひとつだ。戦前に正式に神様は祭られていないはずだが、戦後の宗教自由に伴ってまた現れたようだ。境内に鎮座する神社は、本堂とほぼ同じ規模で、参道も幟で目立つ。だが、神殿のなかに見たら、仏教的な飾りがあるし、本堂から聞こえるのは、祝詞ではなく、お経だ。狐の石像は多いし、鳥居がついた祠も少なくないが、一方観音も地蔵もある。そして、神社のところの後ろに七福神の石像が並ぶ。仏教というより、やはり神仏習合そのものだ。

参拝者はまだ多かったが、違和感なく参拝したようだ。確かに現代の日本人には神道の施設と仏教の施設を見分ける能力はあまりないので、違和感を感じるはずはないだろう。私にとっては、江戸時代の神社やお寺はこのような雰囲気だったのかという感じだった。

寄付を登録する札の間から鳥居を覗く風景
ちらっと見たら、まるで神社みたい