勉強と研究

英語で”study”と”research”という言葉の意味が異なる。日本語の相当する「勉強」と「研究」が同じように異なるかどうか分からないが、今日私の使い分けを説明したいと思う。

勉強と言うのは、既に知られたことを学ぶことだ。要するに自分の教養に貢献するが、世界中の知識や知恵には役に立たない。勉強するのは重要な行動だが、なんと言っても準備だ。準備だとは言え、知識を得るために勉強してもいいと思う。それは、自分の知識を広げて深める目的だけで勉強することだ。知識はいいことだし、目的に相応しい本質を持つので、そうしても間違いなない行動だと強調したい。だが、勉強だけで利益が自分以外に及ばないので、まだちょっと不満な点が残る。確かに勉強したことを他の人に教えることはできるが、ただの循環なのような感じなのではないか。

だから、勉強の成果を活かすのは基本だ。活かすつもりはない勉強は、ただの趣味に過ぎない。いい趣味だと言いたいが、趣味は趣味だ。

それに引き換えて、研究未知なことを発掘したり明確にしたりする行動だ。だれも知らなかった事実を発見する努めだ。深い意味を持つ事実ではなくてもいいと思う。例えば、日本人の何割が北川景子さんの名前を知ることを見出すことも研究だ。歴史に影響を与えない成果になるが、歴史に影響を与えるのは優秀な研究の証で、いつも発生するわけはない。

研究の成果は、基本的に発表すべきことだが、発表したら、もう趣味を超越した。人間の知識を広げたので、もう文明に貢献できたと私が思う。勿論、貢献の程度は研究の内容によって異なるが、小さな貢献も貢献だから、否定すべきではない。

ある分野で研究できるようになるために、かなりの勉強は必要だ。既に知られた知識はなかったら、新しい知識を発見するのは大変難しくて、運だけになってしまう。だが、普段の場合、勉強から研究まで辿るのは自然な進行なのではないか。先ず本などを調べて、既知のことを修めて、分からない点を明かしたくなる。だが、本には答えは見つからないなら、仕方なく自分で研究し始める。わざと勉強から研究に移る場合もあるのはいうまでもない。

私の場合、博士課程で哲学の勉強から研究に移ったが、今はまた勉強に戻ってしまった。神道のことで、今まで勉強してきたが、もうすぐ研究の段階に進みたいと思う。いつも進行したいのだ。


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