上目黒氷川神社

階段と鳥居
高層ビルの隙間に入る参道

先月大山街道を歩いた時に、通り過ぎる神社にお参りしたので、ブログでの紹介を続けたいと思う。今回は、上目黒氷川神社だ。

銅板葺きの社殿
社殿を見たら、もう都会が見えない

一番上の写真から見えるように、丘の上の神社で、もうビルに囲まれた。だが、境内に辿ったら、かなり広くて、空の見えた。本殿には須佐之男命が祭神として祀られているが、境内社もあるし、浅間神社と稲荷神社もある。

神社の建立は、看板によると天正年間(1573−1592)だそうだ。神社として、特に古くはないが、東京の地方でその時期に建立された神社は少なくないようだ。徳川家が江戸に入城した時期だからだろう。それまで、江戸はマイナーな街だったが、17世紀に入ると一変変わったので、神社も鎮座された。ところで、ご存知の通りだが、氷川神社というのは、さいたま市の氷川神社と関わる関東に限る系統の神社だ。「氷川」というのは、島根県の「斐川」の当て字だと言われるし、島根県の斐川は、須佐之男命と八岐大蛇の神話で出てくるので、説得力がある説だ。

道標
大山街道は間違いない

本社には、天照大神と菅原道真も祀られている。天照大神と須佐之男命は関連する神だし、それに特に明治時代に天照大神の信仰を普及とする動きがあったので、いつ合祀されたか驚くほどはないが、菅原道真、天神さん、は、もう少し珍しいだろう。明治45年に北野神社と合祀されたそうだから、明治時代の神社リストラの名残なのようだ。これも、珍しくない現象だ。明治政府が神社神道に大変な損害を与えたとも言えると思わざるを得ない。

境内から表参道で下りたら、古い石段を使う。看板によると、文化13年(1816)に建設され、明治38年(1905)に改修されたそうだから、もう二百年ぐらい努めたようだ。階段を下りると、都会に入って、複数の道路が重なるくらい道に戻る。だが、石段の下には天保13年(1842)の大山街道の道標があるので、歴史の道からまだ離れていないことが分かる。

ビルの道路
表参道で、どっさり都会に再び入る

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