渡来人とは

この記事で新しい日本語の使い方を紹介したいと思う。それは、「渡来人」(とらいじんと読む)という熟語の新しい意味だ。(確かに、紹介する使い方を見たことはないと思う。併し、私の記憶は完璧でもないし、現代の日本語をすべて読んだことがあるわけでもないので、既存の使い方であれば、かまわない。)

渡来人というのは、もう存在する言葉で、歴史で使われている。意味は、古代にアジア大陸から日本に移住して、定着した人たちだ。渡来神という表現も見えるが、それは弁天様のようにアジアから来た神道の神様を指す。渡来人は、大陸に戻らずに日本に永住したし、日本の文化の基盤を敷いた。稲作、文字、仏教、官僚などは、飛鳥時代には渡来人に依ったことだった。藤原鎌足は渡来人だったという説もあるし、皇室さえ渡来人だった説もある。この二つは論争の対象になるが、お稲荷さんの信仰を始めた秦氏は渡来人だったことは一般に認められているようだ。歴史に名前が出ないほど普通の渡来人も沢山いたようだし、大半はそうだった。要するに、外国から日本に来た人だが、外国人とは言えない。日本の歴史の中に無視できない存在だし、渡来人抜きに日本の文化の歴史は分からない。

現在の提案する使い方はちょっと違う。先ずは、日本の文化には基盤はおろか、立派な建物はもうあるので、そのような貢献は必要ではない。だが、まだ日本にいる外国系の人の間に大別三つの範疇が見える。先ず、観光客だ。次は、中期的に滞在するが、まだ母国の人間として自分を考える人だ。帰国する予定はまだ確定ではなくても、いつか帰国する漠然とする企画がある人だ。留学生はその例の一つだ。会社に転勤させられた人も同じだ。外国から来た記者もこういう人だ。このような人を本格的に在日外国人と呼べるだろう。観光客と違って、本当に日本に滞在するが、アイデンティティーはまだ外国人だ。

三つ目の範疇は、渡来人と呼びたい人たちだ。このような人が長期的に日本に滞在する予定で、出身地との繋がりはあるものの、日本の社会や文化に溶け込むようにするし、帰国するつもりは一切ない。「自分の国」について問われたら、ちょっと戸惑うか、日本について語るか。帰化する場合も少なくないだろう。少なくとも、永住権を目指す。帰化したら、もう外国人ではないが、やはりまだ日本で生まれて、日本で育った日本人と違う。視点も異なるし、知識も異なる。だから、日本人になっても「渡来人」と言える。外国で生まれ育ちの人で、もう日本に根付いて、日本の文化に身を浸して、日本の利益を目指す人だ。

私は、自分が渡来人だと思う。


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