国際化に向き合う神社神道〜その四

シンポジウムの第四発題者は上田良光宮司だった。東北学院大学の経営学部教授であり、磐椅神社の宮司でもある。国際化と関わるのは、前から南米との関係が深くなって、南米での神社建立を支持することになったという事実だ。

パラグアイのイグアス市には前から鳥居があったという。だが、神社はなかった。日系人の新聞の経営者がそれを残念に思って、神社の建立を要求した。市に近いイグアスという滝に因んで、「伊具阿須神社」という名称を選んだそうだ。土地を買って、管理人の家も建てた。そして、地鎮祭は、上田宮司が行った。だが、資金の問題で、建設は今停滞しているそうだ。計画をまだ諦めていないが、やはり難しいようだ。

このケースも、移住民の日本人の影響で神道が海外に渡るケースだが、パラグアイの人たちは殆どキリスト教徒だそうだ。だから、宗教としての普及より、文化の一面としての普及だと言えるだろう。

そして、最後の発題者は岩橋発克二さんだった。神社本庁の広報部国際交流課で働いている。国際交流課の課長ではないそうだが、上司がシンポジウムに参加したそうだし、憤慨はなかったので、個人的な立場で語ったとはいえ、神社本庁の立場と大きく逆らわないと推測できるだろう。国際交流の現状について紹介してくれてから、自分の将来の道についての意見を述べた。

現状は、神社本庁レベルで、主にヨーロッパの教団や宗教組織との交流だが、最近アジアや中東とも接する。海外で神道についての誤解や偏見はあまりないそうだが、それは、残念ながら、知識度は極めて低いからだそうだ。「神道って、日本のキリスト教の宗派ですよね」と言われたこともあるという。それは、誤解より無知だと言ったほうがいいだろう。未知な宗教として扱われるそうだ。

それを考えたら、交流の内容はびっくりするほどではない。神道ならではの貢献より、既存の問題への貢献が期待される。それは、人権問題とか貧困問題などとの取り組みだ。だから、「人権について神社神道はどう思っているのか」と訊かれることは多いそうだが、答えにくいとも言う。教書はないので、「神社神道」の態度を指摘するのは難しいからだ。そして、国際交流の殆どは、神職の個人レベルで、相手が神道に興味を持つことから生じると言った。要するに、神社神道の国際交流は未熟だと言える。

未来について、言葉の壁を認めた。だが、その前にちゃんと神社神道の内容を日本語で説明できるようになる必要がある。母語で説明できなかったら、外国語で説明できるはずはないからだ。しかし、長く伝わってきた神道の伝統は、言挙げせずという言葉で神道を説明しない方針だ。だから、国際交流に向けて、その伝統を一変して、言葉で神道をちゃんと説明できるようにするように推し薦めた。それを前提として、異文化や他宗教の理解を深めて、相手が簡単に理解できる説明を作成する必要も指摘した。

私は、これに対してちょっと曖昧な反応を感じる。神道をはっきり説明するのはいいのではないかとは思う。哲学者の魂を持って、説明は専門だったので、説明を評価するのは当然だ。しかし、一方説明したら、統一する傾向が強まるのではないかとも思う。キリスト教のような正統な思想が流行して、それと異なる意見や神事が潰されてしまうおそれがあると思う。だから、はっきりした説明は歓迎すべきだと思うものの、慎重に取り組んだ方がいいとも思わざるを得ない。


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