二人目

二人目の子はいつ?と言われることはある。二人目の妻はいつ?と言われることはない。平成時代の日本に住んでいるので、当たり前に思われるだろうが、南アフリカの大統領には妻は三人要るそうだし、将軍の大奥は有名なので、国や時代によって、二人目の妻を推進する人がいる。文化の違いは面白いが、固く維持する理由があるかどうかを探ることもいいと思う。だから、二人目の妻を探さない理由は何だろう。

先ずは、違法だ。だが、側室のような形はまだできるし、設けた子を養子にすることも可能だから、名目は「妻」ではなかったら、法律的に可能だ。だから、より基本的な理由はないだろうか。

実は、充分あると私が思う。比較的に軽い理由から始まったら、経済的に妻を二人養うことはできない。誕生日プレゼントも問題になるし、生活費も厳しくなる。確かに、働く妻であれば、これは問題ではなくなるだろうので、ちょっと軽い理由だが、現状を踏まえたら、まだ理由になる。

では、より深い理由を考えよう。先ず、私の立場から理論する。夫婦に相応しい関係を作るには、時間は必要だ。それは、婚約するまでの経緯だけではなく、結婚してからも相手に話したり、時間を過ごしたり、そして一人になるときでも相手のことを考える必要がある。日常生活のなかにかなりの時間は必要だから、妻は一人がいる場合でも辛うじてできる。二人がいたら、完全に無理になるのではないかと思う。

そして、平等を保つ必要があると思う。昔の社会で正室と側室の差があったとしても、現代社会には相応しくない。妻は多数いても、皆平等に妻として扱う必要がある。しかし、それはできるかどうかは、疑わしい。正確の相違点や動作の些細な違いによって、好みが生じる可能性は高い。そして、傾きが始まったら、自然に強くなるだろう。より好きになった妻と過ごす時間がつい長くなってしまうので、お互いの理解や共感が他の妻との関係より深まる可能性は高い。だから、結局正室と側室の関係になってしまう。

それに、妻の立場から見る必要もある。先ずは、嫉妬。有名だろう。だが、当然だ。江戸時代の女性向けの啓蒙書が嫉妬を避けるべきだと言っても、回避できないと私が思う。嫉妬の気持ちは嫌だし、悲しむことにもなる。わざと妻を悲しめる状況を選ぶことは、夫の失格だ。そして、嫉妬の元になりそうな問題もある。それは、不安だ。蜻蛉日記などで明らかになることは、多妻の一人には、深刻な不安があることだ。平等を保つことは、上に書いた通り、難しいので、夫の寵愛が動くことを恐れることは多いそうだ。これも、妻を悩ませることだから、夫に避けるべきな出来事だ。

だから、法律が変わっても、私には二人以上の妻は欲しくない。

興味深いことに、上記の理由は、入れ替えれば、二人目の子供のケースにも当たる。


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