新年度が始まると、國學院大學のオープンカレッジも再開する。一昨日、今年度の神道を知る講座が始まった。今回も岡田先生が一人で行うことになったが、テーマは信仰だ。神道には神様は多いので、神道の中の信仰も多い。だから、神社数から計る上位の十の信仰を紹介することにしたそうだ。ただ、数年前に分析した統計によると、十番目は「山神信仰」だそうだが、本宮はない信仰で、それに小さい祠ばかりだから、それを飛ばして、今日11番の春日信仰から始めた。
春日信仰の本宮は奈良県の春日大社だと言う必要はないだろう。分社は1072ヶ所に鎮座するそうだが、都道府県のなかで一番多いのは、奈良県だ。次は福井県だが、それは平泉の藤原の影響かと思う。ご存知の通り、それは、春日大社は藤原家の氏神を祀るからだ。春日大社が「大社」という呼称を始めたのは、戦後だそうだ。だから、歴史的に「春日神社」だと呼ばれたそうだ。
しかし、延喜式を見たら、興味深いことを発見する。殆どの神社は、延喜式で「何何神社」のように表記されているそうだ。例外は伊勢の神宮(「神宮」という)、鹿島神宮と香取神宮、出雲大社など数少ないそうだ。もう一つの例外は春日大社だ。延喜式で「春日祭神四座」と表記されたという。それはなぜのだろうか。
「四座」というのは、神様が四柱祀られたという意味だが、その四柱は鹿島神宮の神(タケミカヅチの大神)、香取神宮の神(フツヌシの大神)、枚岡神社の神(アメノコヤネの命)、そして姫神だったそうだ。この四柱は、藤原家の氏神だ。アメノコヤネの命は祖先の神様で、関東の鹿島神宮と香取神宮の神様は、縁起のある神様だったそうだ。縁起は詳しく何だったのかというと、明らかではない。藤原家の始祖である中臣鎌足が関東出身だったとか、大和王権の最前線であった関東に藤原の祖先が関わっていたなどの説があるが、原因は不明でも事実は明らかだ。要するに、藤原氏が祀る神様の神社は、平城京から遠かったわけだ。だから、丁度1300年前の遷都と一緒に、三笠山で遥拝所を設けたと推測される。つまり、春日大社の前身は、宮がある神社ではなくて、祭りを行うために隔離された場所だった。だから、「春日祭神」と呼ばれた。
他の証拠もある。正倉院に756年に作られた平城京の周辺の地図が保管されているそうだ。その地図に、東大寺の大仏殿などの建物が描かれているが、三笠山には建物は描かれていない。その代わりに、「神地」の字が四角の中に書かれているそうだ。その四角は、現在の春日大社の回廊に囲まれた一番神聖な本殿が入っている場所にも大きさにも当たるという。だが、字の向きを見たら、東向きで祭祀を行ったようだ。それは、鹿島神宮と香取神宮の遥拝には相応しいとも言える。
そして、768年に称徳天皇(聖武天皇と光明皇后、即ち藤原不比等の娘、の娘)が神託を受けて、宮を建てたという。その神託の中でわざわざ「南向け」という指摘が入っていたそうだから、768年の前に別な方向に向けて祀ったと推測できる。
纏めたら、春日大社は遷都と一緒に藤原家の氏神の遥拝所として設けて、藤原出身の女性が皇后になって、皇室の擁護の対象になるとともに宮は建立されたと言える。同じ経緯で、私的な祭りから公の祭りに変わったという。
講義でも、春日大社の原始についての話が長くなったが、他の興味深い内容もあった。
春日大社の境内には末社がいくつか鎮座するが、その中の二座は青榊社と枯榊社だ。いつから祀られたことは定かではないが、平安時代や中世には三笠山の榊には重要な意味合いがあったそうだ。先ず、841年に春日山での狩猟や伐採は禁止されたという。だから現在には素晴らしい原始林が残るが、神道は全体的に木々に配慮するという。無断伐採は、早くからの罪だったようだし、今でも境内で木を伐るために神社本庁の許可は必要だそうだ。そして、春日山の木々が枯れたら、それは神様の怒りの証しとして受け止め、神様が戻ってくださるために藤原家が祭祀を行ったそうだ。そして、枯れた本数によって問題の深刻さを量ったようだから、資料には枯れた本数は詳しく記載されているという。
そして、中世に春日大社の人が政府を脅かして願い事を叶えてもらおうとした時に、神木を平安京まで持っていたそうだ。榊の枯れた枝を手に持って、朝廷まで進行して、訴えたようだ。そして、願いが叶わないなら、枯れた榊を朝廷の宮殿の中に投げ捨てたそうだ。それは、神様の怒りを象徴するためだったと言われる。一方、願いに応じてもらったら、青榊を持ってまた行列を組んだそうだ。それは、神様の機嫌が直ったことを表した。
だから、青榊と枯れた榊は、春日大社にとってはかなり重要な存在だったので、祀る神社が建立されることは驚くべきではないが、いつからそういう形になったのか、史料から分からないようだ。
この点に至って、講義で残った時間は僅か十分ぐらいだったので、次の項目は本当に適当に紹介された。
先ず、春日若宮おん祭りだ。若宮で鎮座する神様は、アメノコヤネの命の御子神だから、御子神信仰の例の一つだ。祭りは1136年から始まって、9月17日に執り行われたが、その日は伊勢の神宮の祭りの日と重なるそうだ。それはともかく、おん祭りが住民の祭りになったし、能楽などの奉納が重要な特徴になったそうだ。その上、神様が旅所まで行って、奉納能楽を監察したが、24時間以内必ずもとの神殿に帰らないと行けないそうだ。岡田先生によると、シンデレラみたいだ。まるでパーティからの帰りが遅くなると、親神が怒ってしまうかのようだと私が思う。(24時間を超えたら、神様が南瓜になるわけはないだろう。)今でもこの祭りは執り行われ、大変賑わうそうだ。
最後に、三社託宣をちょっと紹介した。三社託宣と言うのは、伊勢の神宮の神様、八幡様、春日様からの託宣で、中世と近世の庶民の神道には大変重大な役割を持っていた。伊勢と八幡信仰は後で紹介してもらうので、この話題がまた出てくると思う。神様の夫々の託宣には夫々の美徳を訴えたそうだが、春日様は、慈悲を訴えたそうだ。岡田先生の翻訳によると、春日大明神の託宣は以下の通りになるそうだ。
千日の注連を曳くろといえども、邪見の家には到らず、
重服深厚たりといえども、慈悲の室に赴くべし。
その意味は、宗教的な行為を如何にしても、邪悪な態度があれば、神が来てくれないが、慈悲があれば、親族の死のような重い穢れがあっても、神様が来てくれるということだ。
最後に一分で、「春日鹿曼荼羅図」を紹介した。岡田先生には、一番神道の本質を表す春日大社関係の美術品だそうだ。(リンク先で半ばを見てください。写真はちょっと小さいけれども。)
いつもの通り大変勉強になった内容だった。そして、今年度の受講者数が増えたようだ。講義室はもう四分の三になったし、180人以上だそうだから、一回当たりの収入が36万円ぐらいまで上ると計算できる。だから、来年もこの口座の継続を期待できるだろう。