文化の所有

代表社会議の一回目で前年度の年次報告を貰ったので、今読んでいる。次回までに読み終わる見通しだが、出てくる表現は「母文化」、「外国に繋がる子供」、「外国にルーツがある子供」等がある。見たら、ちょっと疑問を抱える。文化というのは、誰の所有物であるかという疑問だ。

「母文化」の一つの意味は、生まれてから青春期まで中で育った文化だと言えよう。この意味で違和感は全くない。私の場合実感できることは、子供のころの経験にはまだ特別な意味があるので、これからずっと日本に済んでも、帰化しても、日本で骨を埋めても、終身イギリス人の質が私に残ると思う。それは人間の心理のための現象だから、否めないし、否みたくもない。

だが、もう一つの意味は「親の文化」、それとも「祖父母も文化」ということだ。例えば、私の従妹は、イギリス生まれなのだが、一歳でアメリカに移住したので、育ちはずっとアメリカだった。両親はもちろんイギリス人だったので、両親(即ち私の叔父さんとおばさん)の母文化はイギリス文化だが、従妹の場合、本当にそう言えるのかな。イギリスと縁があるのは事実だが、彼女の母文化はアメリカの文化なのではないか。子供の経験などは、すべてアメリカの経験だからだ。

反対側から考えよう。私が授業の為に男の訪問着を着たら、生徒さんの印象はどうかな。変に思われるなのではないか。日本人でもちょっと珍しいともいえるが、外国人でより不思議に看做されるなのではないか。だが、私の母文化の民族衣装をレッスンに着る生徒さんもいる。(スーツの発生地はどこだったと思う?)同じように私が生徒さんの母文化の民族衣装を着ても問題はないと推測できないだろうか。まぁ、私の印象は「推測できない」だ。

これは、血統で文化を所有するという感覚から発生することなのではないか。私は、そう思わない。文化の系譜は、血の繫がりとは別な物だと思って、必須な関係はないとも述べたい。確かに親の文化に馴染みがあることは多いので、血統と関係があるとは事実だ。しかし、大人になっても、魅力的な分かを見つけたら、その文化に浸せるとも思う。それは、「渡来人」の資格の一つとさえ言えるだろう。自分の母文化を捨てるわけはないが、母語に加えて移住先の言語も身につけるのように、文化も身につけることは好ましいと私が主張したのだ。受け入れ方でも、それを歓迎すべきだとも言いたいのである。なぜなら、文化の強さ、文化の魅力の証拠になり、文化の強さそのものにも貢献することだからだ。アメリカの文化が世界中強くなる理由は、世界中の人がアメリカの文化を真似したり、身につけたりするからだ。

そして、資源などと異なって、文化が世界を奔走しても、手元から離れない。むしろ、世界から活力を受けて、現地でより開花するとも思われる。

実は、この側面から見たら日本には別に問題はないと思う。殆どの文化の活動には、外国人は受け入れられる。(神道はまだ例外だと思うが、それでも変わりつつある。)この態度を励まし、より積極的に外国人を受け入れるように促したいだけなのだ。新しい支流を受けると、本流が増す。

多文化の人が文化を身につけようとすることは、脅迫ではないのだ。期待できることなのだ。