平和の価値

だれでも知っていることから始まろう。

戦争で、犠牲者も破壊も多い。勝っても、大きな損害を受けることは避けられない事実だ。極端的な話にしたら、イラク戦争で、アメリカも損害を蒙った。犠牲者は四千人を超えたし、費用も多かった。イラク側から見れば、犠牲者は少なくとも数万人だったし、数十万人の推算もあるし、民家やインフラはもちろん、遥か昔から残ってきたバビロンの遺産にも大きな損害があったそうだ。第一次世界戦争を考えたら、イギリス側の勝ち組でも壮士の数百万人が犠牲になった。文化も、大きな打撃を受けた。

で?と言う人もいるだろう。周知の通りなことばかりだ。主旨は次の通りだ。

戦争の避け難い損失を念頭に置いたら、問題の解決方法として戦争を認めることが無理に近くなる。戦争を解決方法として使う前提は、戦争しないと確実に予想できる損害は、戦争から発生する大きな損害を上回ることだ。イラク戦争は、9・11のようなテロ事件がまた発生しないように侵したが、イラク戦争で犠牲になったアメリカ人が4394人であることに対して、犯罪者を含めて9・11で死んだ人の人数は3000人を僅かに下回る。要するに、アメリカ人の犠牲者だけを考えても、9・11がまた発生することのほうがましだ。もちろん、テロ事件を防ぐように力を尽くす必要があるが、方法として戦争は適切ではないと言える。

しかし、これは絶対平和主義の論議ではない。カンボジアのクメール・ルージュの場合を例として挙げよう。国の人口の高い割合を犠牲にして、その方針を続けようともしたので、戦争で倒すべきだと判断できるかもしれない。といっても、大変慎重に考えるべきなのだ。なぜなら、戦争の損害は確実であるのに対して、悪政府の齎す損害をそとから妥当に推測することは大変難しいからだ。もう一つな例、内紛などの戦争がもう燃えている場合だ。その場合、兵力を使って戦争を終わらせようとしてもいいかもしれない。しかし、この場合でも、本当に戦争を終わらせるか、むしろ長引かせるか、判断するのは極めて難しい。

絶対平和主義からのもう一つの相違点は、防衛だ。戦争は避けるべきだからこそ、防衛のための軍隊を持つべきだ。兵力は全くなかったら、侵そうとする国が気軽に侵略するからだ。或る程度兵力があったら、相手も戦争を避ける方針をとる可能性が高まる。確かに、防衛を言い訳にして戦争を侵した国は歴史上すくなくない。しかし、悪用する国があるからといって、考え方は間違っているとは限らない。子供の教育を言い訳にして、子供を虐待する人もかなりいたが、子供の教育はまだ行うべきことだ。

だから、国が防衛の為に兵力を備えるべきだと思うのに、侵略を受ける前に使うべきではないと言いたいのだ。戦争になってしまったら、他の手段より犠牲者や損害が多くなると信じても間違いではない。


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