和室

新居の和室はいよいよ出来上がり。私は、大変気に入った。

古い和室
ビフォー

私は、日本に来て以来自分の家に和室が欲しかったので、このマンションには和室があることは魅力的だった。ただ、既存の和室は古びたので、リフォームをすることになった。写真から分かると思うが、ごく普通の和室で畳も古くなっていた。ゆり子の建築士の友人と打ち合わせして、よりいい設計をしてもらった。

和室が欲しかったので根本的な変更を求めなかった。だから、畳を新しくしたものの、まだ伝統的な畳で伝統的な六畳のパターンにした。部屋のバランスを考えて、縁の色に拘ったが、それは写真から分かるのだろう。実は、色や素材について詳しく考えたり、考えてもらったりした。例えば、押し入れの新しい衾に縁を付けないことにした。その結果、押し入れの方の感じがちょっとすっきりした印象になったし、圧迫感も減らした。そして、昨日紹介した神棚も付けてもらった。壁には、和紙を連想させるペンキを塗ってもらったので、砂壁ではないが和室に相応しい壁面になったと思う。だが、照明と天井に見える工夫が一番入った。

すっきりした素敵な和室
アフター

照明は、天井から垂らす照明から、壁に付いた間接照明にした。照明の台と言える木造の部品は、部屋の幅を通って、両端には曲がりがあるので、ちょっと雲の形を思わせる。そして、電気を付けたら、壁の軽い凸凹も天井の模様も浮き彫りになるので、素晴らしい印象だと思う。

天井と言えば、編まれた杉で作られた天井にした。編まれた杉は板に工場で付けられ、ここで天井に棒を付けて、板を棒に接着した。そして、アミガ棒を超えて連続的に見えるように大変努力してもらったようだ。確かに、一番下の写真を見たら、編が棒の後ろに続くように見えるが、実はそうではない。

色の組み合わせにも気をつけたので、本当に落ち着いた感じになった。畳はまだ新しく薄緑色なのだが、時間が経ったらより黄色になって、畳も落ち着くと言われる。そして、香りもいい。天井の杉も、床の畳もいい香りを放つので、和室に入ったら本当に落ち着いた気分になる。和室は、晩ご飯を食べるためにも使うつもりだが、来客の寝室にも、ゆり子の着物練習にも使うと思う。私も使いたいので、正座しながら和室で本を読むかもしれない。

和室の衾と神棚の一部

神棚がある側にもこのような和室的な見た目があるので、神棚も相応しく見える。

杉で編まれた天井

天井の模様は本当にいいので、和室で寝る方は、起きたらいい眺めがある。ところで、和室の窓から富士山も見えるので、眺めのいい部屋になった。

自分の物についてころほど自慢するのは良くないかもしれないが、私が設計したわけではないし、新しく出来上がって、興奮している。だから、今日わが子以外のことについてちょっと自慢させてもらう。

神棚

新居の和室にちゃんとした神棚を設けてもらった。和室のリフォームにちょっと時間がかかったので、昨日いよいよ宮型などを置くことができた。

天井に付いている神棚

本格的な神棚の感じだから、嬉しい。これからの基本方針は毎日朝晩家族でお参りすることだ。朝は、その日の楽しみにすることを報告して、晩は、その日を感謝することを報告する形だ。この予定には目標がある。毎日家族で集まって、その日のいいことを報告すれば、家族の絆も強くなるし、生活への態度がポジティブになると期待できるからだ。そして、家族でいいことをお互いに報告すれば、お互いに生活が分かったり、助け合ったりすることも簡単になると思う。

もちろん、神棚の前でする必要はないとも言える。食べながら言ってもいいし、出かける直前や寝る直前にしても同じ効果があるだろう。しかし、私には、家族の儀式は好きなのだから、儀式にしたいのだ。家族で執り行う儀式がアイデンティティーの源にもなるし、生活にも枠を付けてくれるので、儀式にすることにした。儀式にするために、神棚の前ですることはいいと思う。つまり、儀式化でより良い効果が期待できるようになると私が思う。

真由喜はまだ二歳だから、できない日もあることは想像し難くないが、それは気にしない。怠らずにするように拘ったら、むしろ家族のストレスの源になってしまうので逆効果が発生してしまう。恒例になってもいい。習慣を身につけたら、忙しい日でも、疲れた日でも、落ち着くためにやりたくなると思う。そして、やったら、いいことを家族で考えるので、精神的な支えになるなのではないかと思う。

とにかく、今朝から始まった。いい習慣を作るように頑張る。

平和の価値

だれでも知っていることから始まろう。

戦争で、犠牲者も破壊も多い。勝っても、大きな損害を受けることは避けられない事実だ。極端的な話にしたら、イラク戦争で、アメリカも損害を蒙った。犠牲者は四千人を超えたし、費用も多かった。イラク側から見れば、犠牲者は少なくとも数万人だったし、数十万人の推算もあるし、民家やインフラはもちろん、遥か昔から残ってきたバビロンの遺産にも大きな損害があったそうだ。第一次世界戦争を考えたら、イギリス側の勝ち組でも壮士の数百万人が犠牲になった。文化も、大きな打撃を受けた。

で?と言う人もいるだろう。周知の通りなことばかりだ。主旨は次の通りだ。

戦争の避け難い損失を念頭に置いたら、問題の解決方法として戦争を認めることが無理に近くなる。戦争を解決方法として使う前提は、戦争しないと確実に予想できる損害は、戦争から発生する大きな損害を上回ることだ。イラク戦争は、9・11のようなテロ事件がまた発生しないように侵したが、イラク戦争で犠牲になったアメリカ人が4394人であることに対して、犯罪者を含めて9・11で死んだ人の人数は3000人を僅かに下回る。要するに、アメリカ人の犠牲者だけを考えても、9・11がまた発生することのほうがましだ。もちろん、テロ事件を防ぐように力を尽くす必要があるが、方法として戦争は適切ではないと言える。

しかし、これは絶対平和主義の論議ではない。カンボジアのクメール・ルージュの場合を例として挙げよう。国の人口の高い割合を犠牲にして、その方針を続けようともしたので、戦争で倒すべきだと判断できるかもしれない。といっても、大変慎重に考えるべきなのだ。なぜなら、戦争の損害は確実であるのに対して、悪政府の齎す損害をそとから妥当に推測することは大変難しいからだ。もう一つな例、内紛などの戦争がもう燃えている場合だ。その場合、兵力を使って戦争を終わらせようとしてもいいかもしれない。しかし、この場合でも、本当に戦争を終わらせるか、むしろ長引かせるか、判断するのは極めて難しい。

絶対平和主義からのもう一つの相違点は、防衛だ。戦争は避けるべきだからこそ、防衛のための軍隊を持つべきだ。兵力は全くなかったら、侵そうとする国が気軽に侵略するからだ。或る程度兵力があったら、相手も戦争を避ける方針をとる可能性が高まる。確かに、防衛を言い訳にして戦争を侵した国は歴史上すくなくない。しかし、悪用する国があるからといって、考え方は間違っているとは限らない。子供の教育を言い訳にして、子供を虐待する人もかなりいたが、子供の教育はまだ行うべきことだ。

だから、国が防衛の為に兵力を備えるべきだと思うのに、侵略を受ける前に使うべきではないと言いたいのだ。戦争になってしまったら、他の手段より犠牲者や損害が多くなると信じても間違いではない。