レッスンで、「hope」と「wish」の区別について訊かれたことがある。意味が似ているが、異なる点は大変重要だと言える。
「hope」というのは、本当に実現する可能性があることについてしか使わない。確率は低くても、現実的に可能だと判断する必要がある。例えば、原稿を出版社に送ったら、「I hope they publish it」と言える。可能性は低いとはいえ、出版して貰う可能性は本当にある。原稿は完成な作品だし、出版社に提供したので、今まで出版された本の最低条件を満たすからだ。だが、可能性があると言えても、現実的ではない場合は、使えないのだ。例えば、「I hope the Japanese Communist Party win the next election」とは言えない。立候補するはずだし、国民の半分が共産党と投票すれば政権を奪取するのは本当だが、国民の半分が共産党に投票するとは全く思えない。可能性は机上の可能性に過ぎないので、「hope」は使うわけにはいかない。
その場合は、「wish」を使ったらいいのだ。「wish」は、実現したらいいが、実現しないと判断する場合に使う。実現するのは不可な場合でもよく使う。だから、「I wish I were the Emperor of Japan」とさえ言える。私が天皇であるわけはないし、天皇になることも絶対できないことは明らかだから、この現実と無関係なケースにはよく使う。そして、ちょっと面白いことに、動詞の未来型と一緒にあまり使われていないような気がする。それは、未来には何でもが変わる可能性が秘めていると認めるので、可能性を否む「wish」を使うのは適切ではないからだろう。そのような意味を伝えたかったら、可能型を使うことは多い。例えば、「I wish I could become the Emperor of Japan」と言えるが、「I wish I will be the Emperor of Japan」とは言えない。「I hope I will be the Emperor of Japan」というのは、文法的には間違っていないが、内容的には明らかに不適切だ。「I hope I will be the Prime Minister of Japan」というのも、舛添元大臣のような人物ではない限り、ちょっと可能性は低く過ぎて、言いにくいのだ。共産党の総選挙での圧勝のように、机上で私にも総理大臣になる可能性がある(先ず帰化して、そして衆議院議員になって、最後に過半数を占める政党の代表になる経緯だが、絶対に無理だと言えるところはない)が、現実を考えたら低すぎるので、相応しくない。だが、私が天皇になる机上の可能性さえない(なろうとしたら八幡からの防止神託がまたでるはずだしね)ので、「hope」を使うのは、文法は正しいとはいえ、英語の間違いだ。総理大臣の場合、英語のミスか、自分の野望の酷さで現実についてのミスか、判断しにくい場合もあるだろう。
ところで、魔法についての話で「I wish I was young again」のような表現で夢が叶う物語があるが、これは実に不可だから「I wish」を使うと思う。同じように、間接的に要望を表す使い方もある。例えば、「I wish you would stop watching television」と言える。だが、言う通りしてもらわない可能性を高く思う場合には使われる。本当の要望より、喧嘩の予言として使われる場合は多いかもしれない。
つまり、叶う可能性があると思う場合は、「hope」と言った方がいい。叶う可能性は見えない場合は、「wish」が適切になる。