責任

アメリカの石油漏れ問題でBPの責任が問われる。それは当たり前だろう。災害があったら、関わる機関の責任を問うのは必要な行為だ。

しかし、必ずしも責任を負う人や組織が存在するとは限らない。「こうすれば、問題を防げた」と言えない場合は少ないとはいっても、事前にそうするべきではなかった場合は少なくないだろう。問題の発生確率は少なかったら、防止に投入することは他の問題を起こして、避けるべき場合もある。例えば、宇宙人が地球を侵略したら、被害は大変だ。巨大なロボットと可愛い女性のパイロットを用意すれば、侵略に勝てるそうだ。(それは、アニメによることだから、信憑性は低いけれども。)だが、今のところ、日本の財政難のなかで、宇宙人侵略防止に税金を注ぐわけにはいかないだろう。侵略が明日始まっても、今日の判断には変わりはない。今ある情報に基づいて、明らかな無駄遣いに過ぎない。

もう少し難しい例も少なくない。小惑星が地球に当たったら、被害は多いことは確実だ。そして、小惑星の存在も明らかだ。天文家が大規模な小惑星監察プログラムを開始すべきと強調するが、世界の政府が必要な資金を提供してくれない。専門家が必要だと述べても、政治家が他の行動を優先することは、政治家の役割だ。専門家は、自分の分野により多くの支援は必要だというのは恒常のことだからだ。小惑星が来週東京を破滅すれば、政治家の責任は厳しく問われるが、今の場合、「天文学に巨額な税金を注入する」と発表すれば厳しく批判されるだろう。

ことが起こってから関係者の判断を批判するのは簡単だが、事前に決断するのは極めて難しい。


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