氷川神社

朱塗り楼門
氷川神社の楼門。拝殿と本殿の区域への入り口。

さいたま市に鎮座する氷川神社は、武蔵一宮と言われる。一宮というのは、平安時代後期の国の一番重要な神社を指す呼称だが、明らかではない国もある。実は、武蔵国はその一つだから、後でそれについてちょっと書きたいと思う。

なぜお参りしたかというと、生きているうちに全国の一宮のすべてにお参りしたいのだからだが、68があるので、超長期的な計画だ。とはいっても、千里の旅も一歩で始まるので、一つ目にお参りしないと無理だ。氷川神社から始まる理由は二つある。一つは、交通は便利だと言うことだ。さいたま市に鎮座して、大宮駅に近いし(大宮の大きな宮は氷川神社だとは言うまでもないだろう)快速の電車も頻繁に行く。もう一つは、私が今住んでいる川崎市は、昔武蔵の国の一部だったので、私の住まいの一宮だと言える。県は違うが、一宮の制度は、廃藩置県の前からの制度というより、置藩の前からの制度だ。(実は、二つの一宮にお参りしたことがあるが、それは厳島神社と諏訪大社で、観光の途中だったし、まだ神道のことが分からなかった時期だったので、数えない。それ以上、御朱印を受けなかったので、また行く必要がある。)

暑い日曜日にお参りしたが、他の参拝者は沢山いた。特に、初宮参りの家族を何組も見たので、赤ちゃんもよく頑張ったなと思った。結婚式も一組見たし、他のご祈祷をしてもらう人も続々と申し込んだ。氷川神社は有力的な神社であることは明らかだった。

だが、思わざるを得ないこともあった。それは、大規模な神社で初宮参りなどをしていただくと、個人的な気持ちは欠くということだ。比喩はちょっと失礼かもしれないが、マックドナルドと家族経営のレストランの違いと同じだ。長い目で見れば、近所のレストランとの関係を築き、特別なイベントがあれば、特別に祝ってもらうようにしたほうがいいと思う。同じように、神社の祭式は、氏神様で執り行ってもらったほうがいいのではないか。だが、有力な神社にも機能があるとは否めない。先ず、氏子がいるので、氏神様の機能も果たすべきだろう。それに加えて、大規模な祭りに参加するために、大規模な神社に参拝する必要がある。そして、有力な神社の神様と特に関わる祈願があれば、そこで祈願祭を行ってもらっても差し支えないだろう。ただ、少数の有力な神社がすべての神社の機能を独占したら、それは神社界にも、人間の社会にもよくないと思う。

朱塗りの廊下と緑の窓の棒
拝殿と本殿を囲む廊下

さて、参拝についてちょっと書く。境内は狭くはないが、都会の中心部にあるので、とても広いとは言えない。摂社と末社は八つあるが、一つは見つけられなかった。境内の中心部からちょっと離れているそうだが、指定されたところで探しに行ったら、なかったようだ。多分、とても小さい神社なのだろう。本殿は勿論、摂社と末社にもお参りした。

氷川神社のご祭神は、スサノオの命、稲田姫の命、と大己貴命(おおなむちのみこと、大国主神)だそうだ。摂社には、稲田姫のご両親、とスサノオの娘の宗像の神もあるが、少彦名命(すくなひこなのみこと)もいる。少彦名命は、記紀神話によると、大国主神の幸魂だそうだから、ある意味で大国主神の一部だ。要するに、摂社の神様は、主祭神と深い関わりがある神様だ。末社は、そうではない神様と決まっている。氷川神社では、例外ではない末社はある。稲荷神社、松尾神社、そして一つの建物に六つの神社を集めて、天照大神を含めて有名な神が祭られている。だが、興味深い例外もある。それは、御嶽神社だ。それは末社であるとはいえ、祭神は大己貴命と少彦名命だ。同じ神様なのに、深い関係を持たない末社になった理由は、調べたら興味深いだろう。もう一つの仮説が提案できる。御嶽信仰は、氷川信仰とあまり関係のない神社の流だし、明治維新まで祭神が異なった可能性は高い。だから、末社は建立された当時に、祭神は無関係だったかもしれないという仮説だ。

参拝は楽しかったし、参考になる点も少なくなかった。それに、一宮の巡拝が始まった。僅か67が残るよ。


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コメント

“氷川神社” への2件のフィードバック

  1. takai junのアバター
    takai jun

    初めまして。
    入管について調べていたら、偶然あなたのブログを見つけました。
    一ノ宮めぐりの計画は、とても興味深いものです。
    記念すべき一歩、おめでとうございます。
    では、また拝見させていただきます。

  2. チャート・デイビッドのアバター
    チャート・デイビッド

    takai様、コメントをありがとうございます。一宮巡拝の計画が上手くいくといいと思いますが、頑張ります。

    これからも、ぜひ拙ブログをご覧ください。