川崎市ふれあい館

今日川崎市外国人市民代表者会議の市内視察に行ってきた。訪れたのは、川崎市ふれあい館だった。館長が施設の経緯と目標を紹介してくれたし、それから館内を案内してもらった。

ふれあい館の功績は素晴らしいと思った。起源は、30年ぐらい前で在日韓国・朝鮮人が自分の子供が民族差別に遭うことを見て、子供の将来のために地域社会を変えようとしたことだった。日本人と一緒に市民運動を始めたが、最初は日本生まれの韓国・朝鮮人には様々な行政的な差別があったそうだ。奨学金は日本国籍の人に限られたし、児童手当も日本人の子供にしか給付されなかったという。それに、周りの人から差別を受けて、こどもが将来を見失って、高校に進まずに不良な行動に陥ったことは多かったそうだ。

だから、市政に働きかけて、結局市がふれあい館を設立することにした。今も、運営費の大半は川崎市に養われるようだ。22年前にふれあい館が設立された当時に川崎に住んでいる外国人の殆どは韓国・朝鮮人だったし、それに日本生まれの人が多かった。だから、朝鮮半島の文化がメーンになったり、子供が教育を辞めないようにサポートしたりすることだった。朝鮮半島の伝統的な楽器が沢山あるが、その大半はまた市が買ったそうだ。現在、地域社会での祭に参加したり、学校でレッスンを開いたりすることがあるそうだ。

そして、川崎市の外国人の構成が変わりつつあるので、ふれあい館の事業も変わりつつあるそうだ。私のような外国人には、サポートは特に必要ではないが、ふれあい館の近所にはフィリピーンから興行ビザで来日して、日本人と結婚して、子供を産んで、そして夫に振られた人は少なくないそうだ。今、子供は日本人だが、お母さんに日本の教育制度が分からないし、経済的な余裕はあまりないので、子供の進学には障害が発生するという。だから、また教育サポートにする。その上、一世の韓国・朝鮮人がもう80代になって、過去の不公平な年金制度の結果年金を貰わずに暮らすこともあるので、高齢者のサポートも重要な行事になった。

制度的な差別が激減したようだし、川崎市がふれあい館を積極的にサポートしているので、今も残っている問題や新しく現れた問題も解決できるような自信をいただいた。代表者会議で同じような功績があったらいいと思ったので、頑張るしかない。


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