
昨日の代表者会議の市内視察が終わったら、視察先の近所に鎮座する大島八幡神社にお参りした。神社の例大祭は来週行われるそうだから、境内の飾りはもう進んでいた。神社び歴史は八幡太郎の時代まで遡ると言われるが、当時に川崎の南の部分は島だったから神社の名前が生じたという。多摩川の氾濫によって地形が何回も変わったが、海に沈むことはなかったので、流された神社を再建し続けて、現代に至ったそうだ。
境内には摂社が二つあるが、一つは稲荷社で、もう一つは「権現社」という、案内板によると五柱が祭られるそうだ。それは、天照大神と春日大明神の有名な神に加えて、「八幡大善神」、「白滝大善神」と「白竹日大大善神」だそうだ。確か、「善神」は、神仏習合の時代で仏法を守る神様の呼称だったと思うし、「権現」も神仏習合の名称だから、この神社は、明治維新以前の信仰の名残なのではないかと思う。明治以前、八幡は八幡菩薩と呼ばれ、善神だったので、氷川神社と同じように主祭神が摂社にも祭られるだろう。
そして、本殿の前の狛犬は興味深い。先ずは、古い。後ろには明治39年の日付があるので、もう100年以上前のものだろう。その上、台の表には、絵がある。向かって右には、日差しのある日の丸の二つがあるが、向かって左には錨と鋸がある。裏面から分かることは、日露戦争の関係で建てられたことだが、その周辺で軍艦が作られたかもしれないと思った。

本殿に近づいたら、注連縄から垂らすしでが見えた。普段紙から作られたが(漢字として「紙垂」が使われるし)、大島八幡神社で麻で作られたようだった。少なくとも布だったが、神道の作法の本で「紙、または麻」と書いてあるので、麻だと思う。これは特別に例大祭のための措置かもしれないが、あまり見ないことだった。
境内ですぐに社務所のところが見えたが、誰もいなかったし、呼び出す方法も見えなかったので、神社の方と話すことはできなかった。それはちょっと残念に思うが、案内板によると宮司が稲毛神社の宮司を兼務するそうだし、昨日は稲毛神社の例大祭だったので、だれもいなかった可能性は高い。普段いても、昨日例大祭に手伝いに行ったと思えるだろう。
しかし、一般に考えたら、これが神社がやるべきことを示唆する。つまり、参拝した人が遠慮なく神社に関わる人に声を出す環境を整えることだ。神社の祭祀に参加する人はもう少なくなっているそうだから、妨げになることを払拭したほうがいいのではないか。特に今まで神社との関わりのない人には、人がいる社務所に声を出すことに勇気が必要だから、呼び出す装置を使うことにより勇気が必要だし、明らかな装置はなかったら、人の殆どが諦めるだろう。気軽に参拝して、気軽に参加できる環境は重要なのではないか。