昨日参拝した神社の一つは、
都心だといっても、有力な神社だから、木々も樹立するのは言うまでもないだろう。その中に、一番印象的なのは、神木の銀杏だろう。案内板によると、樹齢を千年だと推測されたが、戦火に遭って、枯れたと恐れた時期もあったそうだ。しかし、新しい枝が生えて、今は緑に覆われる。ただ、戦争の損害のために周りに足場のような木材の支えがある。神木は、自分の力で立てられないようだ。
神木の周りに十二支の柱が配置され、十二支参りができる。干支の彫刻の下に性格を説明する案内板があるが、私が読んだ。私の干支の説明を読んだら、「まぁ、一応合っているね」と思ったが、隣の干支の説明も読んだら、「これも悪くないかもしれない」とも思った。回って、説明をちょっと読んだが、当たらないところは殆どなかった。要するに、私が毎年生まれたに違いない。すべて私の干支になるからだ。
神木の真後ろに木材の祠の中に石材の祠があった。石材の祠の中に、何もなかったようだった。少なくとも、見える存在はなかった。それは、神道的な構えだと言いたくなる。伊勢の神宮でさえ、ご神体として何もない神社もあるようだし。
本殿には勿論、境内社にも参拝したが、今神社のホームページや略記を見たら、見逃した境内社があるようだ。どこに鎮座するかはちょっと分からないが、遠くないので、もう一回参拝して探すだろう。境内社の一つは、
稲毛神社は一宮ではないが、他の参拝計画もある。これも、神道の研究の一環にもなると思う。神道の現状を把握する為に、神社にお参りすることは必要不可欠だと実感する。
コメント
“稲毛神社” への2件のフィードバック
稲毛神社の由来を読みましたが、大和朝廷の東征にはっきり関連していますね。関東の多くの神社の神様たちは、この流れによって西から勧請されたのでしょう。
ところが、神木の石の祠、これはこの木を祭ったものなのでしょう。これは最も素朴な神道の形のように思いました。
山の中に山神の祠があり、水源地には水神の祠があったりします。これらは、いわば、名前のない神様ですが、ぼくはとても関心があります。
@takai jun
コメントをありがとうございます。
関東地方の神社の由緒に日本武尊が深く関わることは確かにとくに多いですし、確か常陸国風土記で「天皇」と呼ばれた。ですから、東の国の神話は、出雲の神話のように、大和朝廷の神話に盛り込まれたのではないかと思います。
名前のない神様は、私にも関心がある存在です。神道の特徴で、神道の芯の重要な側面を表す現象だとも思います。