『幼稚園選び 必勝講座』

二週間前にゆり子が『幼稚園選び 必勝講座』と言う本を区図書館から借りた。もちろん、真由喜の幼稚園選びに使うためだったが、私が見たら、読んだほうがいいと思った。だって、娘の教育を完全にゆり子に任せるわけにはいかない。

日本人の方には常識である情報が入っているが、私が日本の幼稚園制度を知ったので、私には大変役に立った。普段の心配はあまりない理由は、真由喜はもう18ヶ月の保育園児だから、集団生活などにはもう慣れた。だから、幼稚園は問題ないと思える。だから、必要なのは、ゆり子の条件を満たして、いい教育方針を貫く幼稚園を見つけることだ。ゆり子の条件は、仕事が可能であることだから、最初の選出をゆり子に任せるつもりだ。そして、可能である幼稚園に見学しに行くと思う。仕事の合間で様子を見て、そしてゆり子と一緒に相談して希望園を選びたいと思う。

私がそういったら、ゆり子がびっくりした。「幼稚園のことは、ママ任せが普通だ」と。それは、確かに、本の気になったところだった。本の中で、パパが一回しか出てこなかった。それは、最後の頁に「3〜4才の子供がママ(またはパパ)を思って行動する」という文章があった。その前に、ママばかりだった。幼稚園チェック、条件整え、通園、朝の準備などは、すべてママだけだった。家のように「ママがメイクなどをする間にパパが子供の服を着せる」のような提案さえなかった。

確かにこの本はもう7年前の出版物だが、大きく変わったとは思わない。日本だけではないと思うが、父親がちゃんと子育てと取り組むことは重要だと私が思う。親子の関係は大変大切だし、それに父親が子育てをしない限り、女性が業界で出世できない。だから、こういう本でちょっと偽って「男性の干渉は当たり前だよ〜ぉ」のように書いたほうがいいのではないかと私が思う。

大島八幡神社

狛犬の台には軍隊用の日の丸が二つある
100年以上前に設立された狛犬に、珍しく日本の国旗が見える

昨日の代表者会議の市内視察が終わったら、視察先の近所に鎮座する大島八幡神社にお参りした。神社の例大祭は来週行われるそうだから、境内の飾りはもう進んでいた。神社び歴史は八幡太郎の時代まで遡ると言われるが、当時に川崎の南の部分は島だったから神社の名前が生じたという。多摩川の氾濫によって地形が何回も変わったが、海に沈むことはなかったので、流された神社を再建し続けて、現代に至ったそうだ。

境内には摂社が二つあるが、一つは稲荷社で、もう一つは「権現社」という、案内板によると五柱が祭られるそうだ。それは、天照大神と春日大明神の有名な神に加えて、「八幡大善神」、「白滝大善神」と「白竹日大大善神」だそうだ。確か、「善神」は、神仏習合の時代で仏法を守る神様の呼称だったと思うし、「権現」も神仏習合の名称だから、この神社は、明治維新以前の信仰の名残なのではないかと思う。明治以前、八幡は八幡菩薩と呼ばれ、善神だったので、氷川神社と同じように主祭神が摂社にも祭られるだろう。

そして、本殿の前の狛犬は興味深い。先ずは、古い。後ろには明治39年の日付があるので、もう100年以上前のものだろう。その上、台の表には、絵がある。向かって右には、日差しのある日の丸の二つがあるが、向かって左には錨と鋸がある。裏面から分かることは、日露戦争の関係で建てられたことだが、その周辺で軍艦が作られたかもしれないと思った。

麻のしでがある注連縄
現代の注連縄のしでは殆ど紙だが、大島八幡神社で麻だった

本殿に近づいたら、注連縄から垂らすしでが見えた。普段紙から作られたが(漢字として「紙垂」が使われるし)、大島八幡神社で麻で作られたようだった。少なくとも布だったが、神道の作法の本で「紙、または麻」と書いてあるので、麻だと思う。これは特別に例大祭のための措置かもしれないが、あまり見ないことだった。

境内ですぐに社務所のところが見えたが、誰もいなかったし、呼び出す方法も見えなかったので、神社の方と話すことはできなかった。それはちょっと残念に思うが、案内板によると宮司が稲毛神社の宮司を兼務するそうだし、昨日は稲毛神社の例大祭だったので、だれもいなかった可能性は高い。普段いても、昨日例大祭に手伝いに行ったと思えるだろう。

しかし、一般に考えたら、これが神社がやるべきことを示唆する。つまり、参拝した人が遠慮なく神社に関わる人に声を出す環境を整えることだ。神社の祭祀に参加する人はもう少なくなっているそうだから、妨げになることを払拭したほうがいいのではないか。特に今まで神社との関わりのない人には、人がいる社務所に声を出すことに勇気が必要だから、呼び出す装置を使うことにより勇気が必要だし、明らかな装置はなかったら、人の殆どが諦めるだろう。気軽に参拝して、気軽に参加できる環境は重要なのではないか。

川崎市ふれあい館

今日川崎市外国人市民代表者会議の市内視察に行ってきた。訪れたのは、川崎市ふれあい館だった。館長が施設の経緯と目標を紹介してくれたし、それから館内を案内してもらった。

ふれあい館の功績は素晴らしいと思った。起源は、30年ぐらい前で在日韓国・朝鮮人が自分の子供が民族差別に遭うことを見て、子供の将来のために地域社会を変えようとしたことだった。日本人と一緒に市民運動を始めたが、最初は日本生まれの韓国・朝鮮人には様々な行政的な差別があったそうだ。奨学金は日本国籍の人に限られたし、児童手当も日本人の子供にしか給付されなかったという。それに、周りの人から差別を受けて、こどもが将来を見失って、高校に進まずに不良な行動に陥ったことは多かったそうだ。

だから、市政に働きかけて、結局市がふれあい館を設立することにした。今も、運営費の大半は川崎市に養われるようだ。22年前にふれあい館が設立された当時に川崎に住んでいる外国人の殆どは韓国・朝鮮人だったし、それに日本生まれの人が多かった。だから、朝鮮半島の文化がメーンになったり、子供が教育を辞めないようにサポートしたりすることだった。朝鮮半島の伝統的な楽器が沢山あるが、その大半はまた市が買ったそうだ。現在、地域社会での祭に参加したり、学校でレッスンを開いたりすることがあるそうだ。

そして、川崎市の外国人の構成が変わりつつあるので、ふれあい館の事業も変わりつつあるそうだ。私のような外国人には、サポートは特に必要ではないが、ふれあい館の近所にはフィリピーンから興行ビザで来日して、日本人と結婚して、子供を産んで、そして夫に振られた人は少なくないそうだ。今、子供は日本人だが、お母さんに日本の教育制度が分からないし、経済的な余裕はあまりないので、子供の進学には障害が発生するという。だから、また教育サポートにする。その上、一世の韓国・朝鮮人がもう80代になって、過去の不公平な年金制度の結果年金を貰わずに暮らすこともあるので、高齢者のサポートも重要な行事になった。

制度的な差別が激減したようだし、川崎市がふれあい館を積極的にサポートしているので、今も残っている問題や新しく現れた問題も解決できるような自信をいただいた。代表者会議で同じような功績があったらいいと思ったので、頑張るしかない。