神道の入門書をまた読んだ。これは私の神道についての研究の第一段階だ。すなわち、入門書を読んで、現代の神道のイメージを把握しようとしている。この一冊は、三橋健氏が編集した本で、大部前に読んだ『我が家の宗教:神道』という本と同じ編集者と出版社だ。その上、國學院大學へ行く時、出版社の事務所を通り過ぎる。神道についての本を出版する理由は、神道を専門とする学者が近所にいることに見つけるかもしれない。
さて、本自体について書こう。タイトルから分かるように、問答の形で神道を紹介する本だ。いわゆる基礎知識を紹介するし、目立つ間違いもないので、入門として悪くないと言いたい。作者の殆どは國學院大學の教授だから、間違いが少ないことは当然だろう。信憑性は高い。だから、ちょっと批判的に扱うつもりだが、それはこの本を読まない方がいいと言う風に捉えられたら惜しむ。ただ、基礎知識の紹介の中で気になったところがあっただけだ。
まず、問答の形式について考えたいと思う。序章で問答の形式が宗教の入門にはよく使われると述べるが、それは否めない。キリスト教の基本の基本のカテキズムが問答であり、よく見える形式だ。だが、問答は、教義を紹介することに相応しいと思う。「天主はどういう存在か」「天主は天地開闢した絶対的な存在だ」等の問答がある。神道の場合は、「神様とはなにか?」「諸説あるが、定説はない」のような答えになる。その上、神道の神話を紹介する章には、問答形式は本当に歪まれたように見える。神話を紹介する為に、神話を語ることがいいが、それが問答にならない。それより、問答の形式は、信じることが宗教の教えの通りであることを保証する為の形式だと言えよう。宗教の教えはないと言える神道では、当て嵌まらないだろう。
同じような問題に因んで、『神道の教え』との章も掲載される。これは興味深い。神道の入門書に稀に見える章のタイトルだが、内容からその理由が分かる。「神道」という語彙の語源についての説明があるが、一般的に考えたらそれは神道の教えの一部ではない。キリスト教の語源も、キリスト教の教義の範囲に入らないこと同じだ。そして、歴史的な教派神道や学派神道の教えについて、そして三社託宣なども紹介するが、現代の神道の教えについていつも曖昧な言い方を取る。それは不可避だろう。神道には、本当に明瞭な教えはない。というより、神道界に広く受け止める教えはないというのは、事実により近いのだろう。だから、入門書で、偏らないようにしたら、曖昧な教えに終わるしかないだろう。これはいいことかどうかを置いておいて、少なくとも問答の形式の弱点を露出すると思う。神道では、一つの質問に、神道家の数を超える答えがある。