白幡八幡大神平成22年例大祭

鳥居と注連縄越しに提灯が見える先日氏神{うじがみ}様の白幡八幡大神{しらはたはちまんだいじん}例大祭{れいたいさい}に参列した。9月20日に執り行われたが、気温はまだ暑くて、天気がよかったので参列する人は多かった。7月に紹介した通り、私が祭で氏子と一緒に拝殿に昇って、玉串{たまぐし}を奉ることになったので神事の13時の始まる時刻より早く着くようにした。ゆり子と真由喜の準備はまだ終わっていなかったので、後で行くことになった。

祭の準備で、幟が鳥居の前で聳えたし、参道の端で提灯が垂らした。子供相撲の準備も途中だったし、境内がもう賑やかだった。そして、神職に声をかけてもらって、夏祭りと同じように参加することになると伝えてもらった。去年書いたように、神事が執り行ううちに境内で子供相撲が催されるので、拝殿の外から神事の詳細が聞こえなかったが、今年が違った。昇殿したので、すべてが体験できた。

先ず、雅楽を演奏する人を前にして、下の鳥居から神殿まで行列で進行することがある。神職が前に進行するが、その後ろに氏子と私がいた。神職以後別に序列はなかったようだったので、真ん中ぐらいなところで歩いた。拝殿に入る直前、手水の儀があったが、社務所の中にある手水の設備を使ったのは初めてだと思う。玉串を奉ることになるので、私が一番前の列に座らせられた。その為、祭をちゃんと見ることが出来た。

基本的に、普通の大祭だった。お{はら}いを済んだら、宮司が一拝して祭を開幕した。降神{こうしん}の儀で警蹕{けいひつ}を唱えながら御簾を上げたが、それから神饌{しんせん}を供えた。夏祭りで酒の瓶から蓋をとる簡略な供えだったが、例大祭のためにちゃんと神饌を神職の間に手渡しして、神前に供えた。

祝詞奏上{のりとそうじょう}の前だったとと思うが、奉幣{ほうへい}の儀があった。宮司{ぐうじ}が大きな紅白の御幣{ごへい}を持って、神前で振るってから平伏した。これを三回繰り返してから、禰宜{ねぎ}が御幣を御簾の奥に奉った。これはちょっと独自の儀で、神社本庁の式次第には載っていない。

そして、祝詞奏上と祭詞奏上が終わったら、玉串を奉った。前回の通り、私が総代などの後で、氏子達が一体で拝礼する直線に奉った。これは相応しい序列だと言えると思う。今回も緊張したが、まだ慣れていないし、目立つので、当然だろう。(目立つ理由はいくつかある。先ず、外国人だ。そして、氏子達より背が高い。それに、氏子ではないので、法被を羽織らない。もう充分だが、奉る氏子より30歳年下のように見える。ゆり子もびっくりしたそうだ。ついたら、私が一番前の列に座って、目立ったという。)

かき氷を食べている真由喜
かき氷、美味しい!
最後に、興味深いことがあった。徹饌{てっせん}の儀で、禰宜が神前で一拝することで終わった。それから、宮司も一拝して、祭祀が終わった。何が興味深いかというと、昇神{しょうしん}の儀はなかったこっとだ。御簾も上げたままにした。ちょっと考えたら、理由がすぐに分かる。神事の後で禰宜舞{ねぎまい}があるが、禰宜舞は神様の為の舞だから、舞う前に神様を見送るわけにはいかないと思う。昇神の儀は重要な儀式だから、後で執り行ったと思うが、餅投げで拝殿が賑わった時に神様はまだ身近にいたという意味だ。

では、神事が終わったら、ゆり子と真由喜と集合した。真由喜がかき氷を食べたがったので、屋台に行って買ってあげた。禰宜舞を見る為に拝殿に入るが、かき氷を持って入るわけにはいかなかったので、外で食べた。拝殿の衾は広く開けられたので、中に見えたし、前半の最後の舞は真由喜が食べ終わってから舞われたので、肩車にして、真由喜に見せた。休憩の間に拝殿に上がって、後半を待った。

真由喜が太鼓を叩こうとする
私もできるよ
真由喜は舞に興味津々だった。「マスクをしているね」(マスクは、英語で仮面の意味だ)とか、「今着替え中だね」などを言いながら、楽しく見た。矢を討つところも、餅投げのところも、怖がらずに参加したので、もう祭に慣れたと言えよう。餅が沢山あったので、団子をよく集めた。禰宜舞が終わったら、すぐに片付けに入ったが、神楽殿で平囃子{はやし}連という人たちが日本の音楽を演奏したので、真由喜がちょっと躍った。持ち物が欲しがったので、団子を持ちながら躍ることになった。その間、同い年のお子様を持つお母さんがゆり子と情報交換した。氏子家柄の人だったから、やはり例大祭に参列し、子供のお父さんが平囃子連の一員だったそうだ。

例大祭に参加させていただいて、真由喜も楽しんでくれたので、いい経験だった。次の特別の祭は、真由喜の七五三だろう。


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