神道を知る講座VI〜第7回

今日3ヶ月ぶりに國學院大學の神道を知る講座が再開した。神道の信仰の紹介を続けて、稲荷信仰になった。今回の講座の構造は普及度順だから、第7回で稲荷信仰を扱うことは、稲荷神社は四位だと示唆する。一方、稲荷神社が3万あって、一番多いと言われる。しかし、岡田先生によると、この主張には根拠はないそうだ。神社本庁が行った調査の成果に基づいて、稲荷神社は数千社あり、四位に止まるという。ただし、それは主祭神で、神社名に反映された信仰に限られた。だから、境内社の多い稲荷信仰といえば、境内社を含めたら3万社まだ上ることは不可能ではないと言った。ただ、それほど細密な調査はまだ行っていないので、今「3万社」と述べることに足る根拠はないと言えるようだ。神道の研究が甦りつつある現在に、この調査が行われることも期待できるのだろう。

稲荷信仰には神道を貫通する公と私の二つの側面が明らかに現れるそうだ。信仰の中枢は、京都に鎮座する伏見稲荷大社であることは周知の通りだが、この神社は秦氏の方によって和銅4年に建立されたそうだ。要するに古社といえば古社でもあるが、例えば少なくとも古墳時代まだ遡る大神神社の歴史と比べたらそれほど古くはないと認めざるを得ない。(確かに、関東の基準で計れば可成り古いことだが。)だから、信仰の経緯を探れば、何が見つかるのだろう。

先ずは、「稲荷{いなり}」という名称の由来は、「稲成り」だそうだ。実は、岡田先生によると、山口県に「稲成り{いなり}」と正式に社名を表記する神社があるそうだ。伏見稲荷大社の縁起によると、秦氏が餅を的として矢を放ったが、餅が白い鳥に化けて、飛び去った。鳥が止まったところで、稲がすぐに生い茂ったので、そのところで神社を鎮座したという。つまり、稲荷信仰はもともと農耕の信仰だったことは明らかだ。現在普通に稲荷神社の祭神とされる倉稲魂命{うかのみたまのみこと}の名前からも窺えることだし、昔の神道には珍しいことではない。ちなみに、秦氏は渡来人だった。

では、発展がどうなったのだろう。重要な第一歩は、827年に天皇が勅使を派遣されたことだそうだ。これは、稲荷の神の祟りがあって、天皇が病気になったからだ。その祟りの原因の一つは、空海が東寺を建てる為に稲荷山の木を伐採したことだったそうだ。だから、ここで朝廷との繫がりも、仏教の真言宗との繋がりも出来たといえる。この二つは重要だったそうだ。伏見稲荷大社がすぐに正一位の神階になったし、二十二社制度にも入ったので、朝廷の信仰は篤かったとも言えるが、伏見稲荷大社の場合、庶民の私的な信仰の方が重要だったろう。

実は、一般の人が神社にお参りする習慣を検討すれば、伏見稲荷大社は先駆的だったそうだ。もう10世紀末から都で稲荷山へもの詣でする習慣があったことは、蜻蛉日記や枕草子から窺えるそうだ。特に目立つのは、女性の参拝者は多かったことだ。殆どの有力寺院で、特に山にある霊場の寺院の場合、女人禁制があったので、女性がお参りできなかった。そして、神道のその以前の伝統に従えば、男女ともに山に入るわけにはいかなかったと言われる。つまり、伏見稲荷大社の信仰は非常にオープンな制度を取ったので、庶民の間の人気の弾みになったのではないかと岡田先生が述べた。

それに、金具の職人が集中する京都の七条の周辺が伏見稲荷大社の産土神社の区域になったので、商売との関係も築かれた。現在のお稲荷さんと言えば、商売繁栄の神だと思う人は多いと思う。岡田先生によると、それが京都で始まったそうだ。

日本中に普及した理由には、三つが掲げられた。一つは、伏見稲荷大社の勧請に対する態度だった。大社に申請したら、すぐに分け御霊を授かることが出来たそうだ。それなりに奉納する必要があったことは言うまでもないだろうが、原則として誰にも分け御霊を与えたそうだ。だから、稲荷神社を建立したかったら、難しくはなかった。もう一つは、真言宗との関係だった。真言宗が日本全域への普及に伴い、稲荷信仰も普及したと推測されるようだ。最後に、商売を営む人が稲荷の信仰を城下町まで運んだということだ。

では、この講義の準備の一環として、岡田先生が伏見稲荷大社へお参りしたそうだ。20年ぐらいぶりだったそうだが、千本鳥居というところが、稲荷山の道をほぼ全体的に覆うようになったそうだ。ちょっと面白いことに、道端で値段表があるそうだ。小さい鳥居が50万円から始まるが、大きな鳥居が欲しかったら数百万円が必要となるそうだ。こういう風に堂々と値段を教えることは、まぁ、商売繁栄の神様には相応しいとも言えるね。そして、本殿に近く鎮座する摂社は、所謂白狐社{びゃっこうしゃ}がある。ご祭神は、「命婦専女神」で、お稲荷さんに使える神様だ。だが、神社の名称から分かるように、白い狐だ。お稲荷さんに眷属の神は、狐だ。これも周知の通りだが、この関わりの由来は不明だそうだ。一つの説は、真言宗で出てくるダキニ天という仏教の夜叉がお稲荷さんと集合されたが、ダキニ天が白い狐に乗ったので、狐が稲荷信仰と繋がったということだ。一方、稲荷信仰には狐がもう関わったからこそダキニ天と集合されたとの説もあるようだ。事実はまだ未詳だ。

講義の最後に、岡田先生がちょっと余談を披露した。夏休みに対馬に研究してきたそうだが、対馬で面白い神社と出会ったと言った。それは、見た目でごく普通の神社だが、ご祭神は小西マリアという江戸時代初頭のキリシタンだ。江戸時代の隠れキリシタンによって祭られたようだが、現在は神道の神様として祭られているという。小西マリア本人がどう思うかは不明だと岡田先生が言ったが、やはり神道の大らかな性格をよく表す現象だ。生前専らキリスト教を信奉しても、死後神道の神にもなれる。やはり、キリスト教の排他的な態度と対照になる。

やはり、一般の人向けの講義で私の耳に新しい情報が少なくなったが、岡田先生の立場から分析や評価を伺うことはいつも勉強になる。だから、次回も楽しみにする。