今回の講義の話題は、天神信仰だ。講義の大半が
さて、ご存知の通りだが、菅原道真は、九世紀後半から十世紀初頭に生きていた人物で、平安時代前期の文学者や政治家として名高い。家柄は、所謂文書博士の家業に勤める土師家から出てきた貴族の中流ぐらいの家族だった。藤原家と比べる物ではなかった。それでも、菅原道真の才能が認められたので、宇多天皇の御代で出世して、長女が天皇の息子と結婚するまでになった。宇多天皇が醍醐天皇に譲位してからも出世が続いたので、右大臣の位まで昇った。その傍らに『三代実録』の書物も、自分の詩集も著した。だが、901年に自分の娘と結婚された親王を天皇にさせる陰謀を抱いた噂が走り、太宰権帥に左遷された。太宰府で最期を迎えた。
このぐらいの略歴からも分かるが、天神信仰がなくても、歴史上可成り重要な人物であったと言えよう。しかし、死後の展開が人生の成果を隠すほど著しかった。当時の
しかし、岡田先生によると、菅原道真は異例中の異例だったどうだ。なぜなら、仏教の慰霊儀式ではなく、神道の祭り方になったからだ。つまり、菅原道真の前に神になった人間はいなかった。(応神天皇と神功皇后が例外になるかもしれないが、特殊なことだから、基本的にその通りだ。)だから、人間の昇神の先駆者だったと言える。
そして、太宰府天満宮の性格が京都の北野天満宮の性格と異なるそうだ。太宰府天満宮が菅原道真の遺体の上で建てられ、元々廟で、安楽寺というお寺だった。神道の色もあったが、完全に神社になったのは、明治維新だった。死者の廟で祭ることは異例ではなかった。慰霊だったので、異例に至らなかった。史上初の現象が京都で発生したそうだ。
神道的な祭り方が始まったのは、942年だったようだ。右京七条に住んだ山口様
さて、天神信仰が流行った理由はなんだろう。岡田先生によると、農耕の神と習合されたからだそうだ。天神は元々雷神で、雨を司る神だった。だから、菅原道真が天神になったら、当然のことで豊穣を祈るようになる。だから信仰が広まったという。天神が学問の神様になったのは、平安時代末ごろであったろうと言われる。由来は菅原道真の学歴だったことは言うまでもないだろうが、鎌倉初期にもう学問と係る神様になっていたそうだ。江戸時代になったら、寺子屋の神様として崇められたので、学問との関係がより密接になったと言える。受験の神様になったのは、戦後のことなのではないかとも言われるが、それは受験戦争が広まったことに伴っただろう。
もう一つなことが紹介された。それは、菅原道真に仮託された詩だ。(岡田先生が「仮託された」とは言わなかったが、文献上の初登場は1377年だし、菅原道真の詩集にも見えないので、仮託された可能性は高いと私が思う。)その詩は、以下の通りだ。
心ダニ 誠ノ道ニ 叶ニナハ 祈ラストテモ 神ハ守ラン
即ち、「心で誠の道に従えば、祈らなくても神が守ってくださる」という意味だ。南北朝時代や室町時代に寄付などを強く推進した環境で、この詩の意味には迫力があったのではないかと思われるそうだ。そして、高野山の資料にも岡田先生が見つけたそうだし、江戸時代直前の書道にも見つけたそうだから、中世でも少なくとも或る程度普及したと言えるそうだ。
神道でもこのように祭祀を軽視する思想もある。