
「若宮」と言う社号が普通に御子神を祭る神社を指す。春日大社の若宮神社は有名な例であろう。そして、八幡様が応神天皇であることは、昔から言われる。だから、仁徳天皇といえば、応神天皇、即ち八幡大神の御子だから、仁徳天皇を祭る神社は当然「若宮八幡宮」という。ちょっと疑問になる点は、この神社を八幡信仰の一環として捉えられるかどうかということだ。関係あることは明らかだが、例えばイザナギ神が天照大神と関係あるが、イザナギ神を祭る神社は伊勢信仰の中に含まれない。決断するために祭祀の形を見る必要があると言えよう。

この現象が江戸時代に生じたそうだ。川崎は、東海道の宿の一つだったので、旅人をもてなす商売が繁栄した。その中で飯盛り女もいたが、その女性の方が金山神社で性病除けなどを祈願するようになったそうだ。習慣になるについで、範囲が広がったようだ。子授けを始め、夫婦和合などの祈願も盛んになったという。確かに金山神社のご祭神が夫婦であるし、本殿のご祭神が他の神様の御子神として祭られるので、この境内で親と子が祭られる。(確かに夫婦の子ではないので、養子との関係も生じても不思議ではない。)今金山神社の前の絵馬殿の絵馬を見たら、子授けの祈願とそのお礼の絵馬が多いようだし、私がいた家に初宮参りの予約をする為に或る人がお参りした。つまり、神徳といえば、子供関係の祈願が主流になったといえるようだ。

ただし、社務所の方と話したら、かなまら祭に外国人が多く集まることが分かった。それにたいして複雑な気持ちを抱く。一方、当然なことだ。性的なことが人の興味を惹くし、日本の独特な現象でもあるので、観光客に魅力的であることは否めない。それを認めても、まだこれだけを見たら日本や神道の印象が歪むと思わざるを得ない。男根を掲げる神社は少ないので、割合が分からなかったら、意味も分からない。
しかし、どこの文化でも、イギリスの文化だの、アメリカの文化だの、そとからよく分かることは難しい。いや、中から全面的に分かることも難しい。だから、このような祭で神道の誤解を抱く人が生じても、仕方はないだろう。
結局、面白い神社で、面白い祭だし、面白いからこそ神道の強みもなる。