奈良〜大仏、平城宮跡、正倉院展

真由喜が東大寺の大仏殿で怒りの顔をする
私の顔が・・・
 
東大寺の大仏殿で怒りの顔の仏像
・・・似ているかな
私の計画で、金曜日に早朝に起きて、開門の前に東大寺に着くことだったが、あまりにも現実的ではなかった。それより、八時から美味しい朝食を食べて、九時過ぎて東大寺に向かった。江戸三から歩くと、南大門まで二十分がかかる(それは、三歳児と一緒の条件だが)ので、東大寺に着いた時刻はもう10時ぐらいだった。

東大寺で修学旅行に着た児童は多かった。小学生に見えた子供は一番多かっただろうが、中学生もかなりいた。制服の種類は様々だったので、それもちょっと面白かった。

では、大仏殿に入ったら、真正面から大仏を仰ぐと、インパクトはそんなに強くない。大仏の前に供物が並ぶので、鎌倉大仏のような存在感はなかっただろう。しかし、ちょっと横に移ったら、インパクトが増した。人混みも減ったので大仏と一緒の気持ちも湧いてきた。やはり大きいよね。

真由喜が東大寺の柱にある穴をくぐる
気軽にくぐれる
そして、大仏殿の後ろに回ったら、穴がある柱に辿った。小学生がくぐる為に並んだが、真由喜に推進したら「怖い」と言いながら拒んだ。しかし、暫くの間お兄さんやお姉さん達を見たら、「真由喜も」と言って行列に加わった。

穴は確かに大きくないが、三歳で簡単にくぐれる。俗信によると幸福を得るそうだと思うが、そうなるといい。実は、真由喜が楽しんだので、「もう一回」と言って、また行列に加わった。二回目で友達を応援する小学生が減ったので、私が撮れた写真が良くなった。

東大寺を出たら、ゆり子が真由喜に鹿を買ってあげた。勿論玩具の鹿だったが、車があって、紐を引っ張ったら付いてくる鹿だった。私の気分は、正直に言えば、「邪魔になるな」だったが、実は真由喜に凄く気に入り、ずっと遊んでくれた。多分真由喜の気分を爽やかにしただろう。

では、鹿も持って、タクシーで平城宮跡に向かった。奈良の遷都1300年祭が今月7日に終わったので、最終の週末を避けて行きたかった。結局人は多かったが、ゆっくり見えた。確かに中央の展示などには行かなかったが、「みどり広場」というところでたこ焼きなどの祭の食べ物でピックニックしたら、真由喜が大変喜んだ。

真由喜、ゆり子と母が朱雀門の前に立つ
宮殿に入ろう
食べてから、体験できる施設に向かったが、母は庭に興味を持っているので途中で東院庭園に寄った。それは、奈良時代の日本庭園の復元だそうだ。ガイドブックによると、考古学の発掘調査で池などの形だけではなく、植えられた植物の種類も分かったそうだから、本当に当時の庭園に見える筈なのようだ。現代の典型的な日本庭園と違ったが、それから系譜があるとは信じ難くない。

それを見たら、真由喜が帰りたがったので、旅館に一旦帰ることにした。でも、ちょっとだけ休憩してからまた出かけた。目的は、正倉院展。

鹿を引っ張る真由喜が走る
ずっと一緒だった。
母が真由喜の七五三のために日本に来たから、正倉院展と会わせる予定はなかった。だから、運がよくて開催中奈良に訪れた。折角だったので、見に行かないわけにはいかなかった。アドバイスは、5時以降に訪ねたら、観光客が少なくなるということだったが、本当にその通りだった。博物館の中はまだ混雑したが、入る前に待つ必要は全くなかった。

今年の正倉院展の目玉は、琵琶だった。1300年前の物だと信じられないほど鮮やかだったし、聖武天皇が愛用したと思ったら、歴史を感触できた。他の展示品も興味深かった。私にとって、展示された木簡は特に感動的だった。日本の古代の歴史に付いて読んだら、木簡の重要性がすぐに分かるが、本物を意識しながら見るのは初めてだった。(数年前に東京の国立博物館で見た可能性もあるが、当時意味が分からなかった。)宝物に見えないが、実は大変貴重な史料だ。

二泊目の旅館は、青葉茶屋という旅館だった。良かったが、江戸三と比べたら、それほどではなかった。順番は逆だったら青葉茶屋をより認めただろう。でも、問題はなかったので、青葉茶屋も有力な宿泊候補として認めても差し支えない。


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